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イッセイエッセイ

983号 夕空晴れて秋風吹き

2014年09月20日(土)

 今日の午後は青い空が澄み、白い雲がぽつぽつと浮ぶ。秋の空を背景に山々も浮き出て、山肌がはっきり見える。緑を帯びた周りのすべての地形がそれぞれ高低、遠近にしたがって色合を変え、光の陰影も加わって実に美しい。水平に広がる田野も刈田あり、稲田の黄金色ありである。そして九頭竜川の水の色は秋の色である。
 天候不順な今年の初夏から以降、はじめて季節にふさわしい天気を楽しめる今日の景色である。
 四時すぎに本を読んでいると、床に西日が射し込み初める。しかしそんなに光を強く感じず、やや椅子を横にずらしてそのまま読書をつづける。文字どおりそよ風がそよと頬にあたる。自然の変化だけがしのぎやすさの頼りであった昔、秋の風が吹いてきた、といつもながらに言う母親の言葉やその時の触感を想い出す。
 三十分ほどで読み終った「二人の色男」(女にたかるダブリンの若者と街の風景)、「国賓」(人質のイギリス人を処刑せざるをえないアイルランド兵)、「不信心と瀕死」(初老の遊び人と家主の老婆、信仰の話)は、それぞれJ・ジョイス、F・オコナー、S・オフェイロンの1914年、1931年、1947年作の短篇である。いずれも文庫本「アイルランド短篇選」(橋本槇矩編訳)の中にあるものである。表紙カバーには畑の石垣と自転車と海岸が写っており、アラン島の写真である。これらの短篇小説には会話が多く自然描写はあまりないが、その中から今日の眼前の景色に対し、風景文を抜き出して連歌風に付けてみる。
  「夏の名残りの、温かで穏やかな微風が町中をめぐっていた」、
  「星が出ていた。湿地の向こうで鳥の甲高い鳴き声がした」、
  「彼は開いた窓辺のひじ掛け椅子に座った。春の夜は穏やかだった。生命がすべての物に脈々と
  流れていた」

(2014.9.13 記)

 巻末の解説で「アイルランドの歴史には、他のヨーロッパ諸国と異なり、ルネッサンスも宗教改革も産業革命も中産階級の勃興もなかったので、長篇小説というジャンルは成長しなかった」と訳者は述べる。またある批評家の言「リアリズム長篇小説は、まずなによりも定着と安定性の形式であって、個々の生を統合された全体に向けて集積するものである。そしてアイルランドにおける社会的条件は、そのような楽天的な和解に向かうようなものではなかった」を引用する。アイルランドでは長篇のかわりに「個々の生」を物語る短篇小説が発展したと訳者は理解しているのである。
 このような論法でいくと、「源氏物語」は平安時代の日本の安定と長篇文学とが相性の関係にあった適例である。そして西洋の人たちは源氏を超長篇であるがゆえに一層評価するのかもしれない。つづいて鎌倉期の「平家物語」まではともかく、以降は長いものは後がどうも続かない。江戸250年の泰平期があっても「南総里見八犬伝」を挙げる訳にはいかないだろう。そうなれば、近世以降は島国の孤立化と社会的制約がきびしくて、日本も長篇を生み出す「統合された全体という視点が熟成できない」というアイルランド的停滞におち入ったのかもしれぬ。アイルランドやスコットランドの民謡が日本人に好まれるのはユーラシアの東西において共通した心性が存在するのかもしれない。

(2014.9.15 記)

 9月18日の住民投票において、スコットランドの独立は女王や首相も動いて反対が多数となったようだ。アダム。スミス(1723-90年)は国富論でイングランドとの統合(1707年)を、「スコットランドの中流以下の人々は連合によって、自分たちを抑圧してきたスコットランド貴族の支配から完全に救われた」(毎日20日3面)として賛成をしていたようであるが、コナン・ドイルの方は生還してくるとなんと思うか。英国政府のみならずEU、各国とも混乱が生じず安堵しているというのが今朝の新聞報道である。

(2014.9.20 記)