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イッセイエッセイ

975号 構造と時間の寿限無(前号 974号のつづき)

2014年08月25日(月)

 われわれが時間を観念するとき、自分たちが経験する日常のように、自己と同時的にまた連続していて等質の時間であると全ての時間軸を観念するのは、ヘーゲル的な時間観であるというのがアルチュセールの考えだそうだ。
 フランスのアナール派は時間の多様性を認識しているが、なぜこれが存在しうるかについては問題提起がなされない。社会の種々の領域に関し、上下(階層)の関係、互いの作用における階層性、各階層が相対的な自律性・複合性をもった重層性、これらを決定する全体としての分節的結合、重層化された複合がそれぞれ固有の時間性すなわち歴史をもつ(等質的でも同時代的でもない時間である)とアルチュセールは考える(話しがむずかしい)。全体を構成する種々の領域は、同じ時間を生きていない。しかし自律性は絶対的ではなく、支配因によって軌道の幅ないし変動の両極が限定されている。そして経済的下部構造は社会構造の軌道を設定するが、変動の範囲や諸現象の運動の限界(境界線)を引くだけである。しかし一方で、この決定ないし規定は、普遍的であり不変であるとアルチュセールは考える(これもむずかしい)。
 このような等質時間を前提としないアルチュセールの反(無)歴史主義、反(無)人間主義は、著者の今村教授の説明ではフーコー、デリダ、ドゥルーズ、リオタールらの哲学に変奏曲となって響いているらしい。レヴィ=ストロースの構造主義とアルチュセールの哲学は、ともに構造という言葉を使用しているが、前者は人類学の認識対象を形式化する際に数学的(可能性)構造をとるので、概念的(必然性)の構造で捉えるべきとするアルチュセールの考えとはちがうそうだ。したがってソシュール、ヤーコブソン、レヴィ=ストロース、ラカンの系譜をもつ構造主義者ではないことになるという。
 テクストや論述の欠点を指摘するのではなく、そのなかにある真実を見抜き、その可視/不可視の間のいわば蝶番にあたる部分に対して「徴候的読解」を行うことにより、創造される新しい「問いの構造」が、根本から認識の対象の意味や定義を変更できることになる…というのがアルチュセールの読解の手法であるらしい。

 その他さまざま書かれた本書「現代思想の冒険者たち」第22巻を一読したが、「起源」という用語が気になり、索引に従いどの辺にこの用語が使われているかを調べていた。その時、索引のほかに便利な「キーワード」解説も巻末に載っていることに気づいた。これを読むと本文の難読さと比べ要を得た説明が加えられており、アルチュセールの全容を語ろうとする著者の理解を、読者として「理解する」ことができた。
 用語の定義は、大体かくのごとし(不正確なところのあるまま忘備的に)。

  ・「問いの構造」(プロブレマテイック)…この思考法によって、先人の問いの構造を読みとり、新し
   い問の構造を生産することができる。
  ・認識論的切断(エピステモロジー)…言説(テクスト)の問いの構造を読みとり、その条件と限界
   を分析し、他の新しい構造へと構造的移行を行うこと。
  ・重層的決定…社会的全体を構成する個々の社会的領域は、異質の諸矛盾からなる異質の出来
   事が相互に重層的に決定されている複合体(構造)である。そこには異質の諸矛盾の融合と越
   境、矛盾の階層的序列というものが存在する。
  ・社会的全体性…決定因(土台、最終審級)によって定められる支配因をもつ全体をいう。
  ・徴候的読解…言葉が空虚に響くとき、その空虚の場所を徴候とよぶ。言葉の表層的な連続性を
   解体し、あるいは引き裂かれた言葉の状態を明るみに出して解読すること。これにより隠れた潜
   在的言説に生命を付与する。
  ・構造因果性…原因・結果の関係説明には三種あり。(1)推移的(線形的)因果論、(2)全体・部
   分因果論つまり表出的因果論、ライプニッツ、ヘーゲルがこれ。(3)(2)と同様、全体と部分を問
   うが、全体構造は部分に効果を及ぼしながら、表出しないと考える。構造自体は結果のなかに
  効果を及ぼしながら部分から姿を消す。構造の不在的現前論であり、スピノザ、マルクスがこれ。
  ・偶然の出会い…唯物論は偶然の出会いから生まれた出来事を重視し、観念論は形をもって成立
   している世界だけに関心をもち、もとの状態を消去する。唯物論は世界を成立させる可能性の
   場、つまり偶然の出会いの場に回帰して、そこから世界秩序を批判する。実際には社会生活の
   具体的な種々の実践、それは形なき状態であるが、これが偶然の出会いの場のことである。
   偶然こそが世界成立の可能性の条件であり、これをイデロギー的に消去するとき、起源と目的を
   もった世界とその解釈、つまり必然性の世界が生まれる。

 そのほか、「理論的実践」、「イデオロギー一般」、「国家のイデオロギー装置」がキーワードとして記されているが、これらはかつての唯物論・マルクス主義的な響きがある。しかし、アルチュセールがマルクス主義者であるかどうかを超えて、20世紀の歴史の中で一つの独創的な思索家であると本書の筆者は述べる。「ヘーゲルはマルクスの知らないことをよく見ていた」(本書101頁)とアルチュセールは語っているそうだが、本文を読んだかぎりでは、アルチュセールは無理をしているマルクス主義者にも見える。

(2014.8.17 記)