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973号 冠山峠(檜尾峠)のこと

2014年08月21日(木)

 中部縦貫自動車道は、福井県が岐阜県や中京と結ばれることとなる基幹道路である。そして流域的には福井側は九頭竜川、岐阜側は長良川の川筋のルートである。一方、5月17日に着工式典をした国道417号冠山峠道路は、揖斐川流域圏の大垣・西濃地域と結びつく道路である。
 この冠山峠については、冠山(1257m)をはさんで昭和初期までは、池田町(福井県)と岐阜側の徳山村(現・揖斐川町、人口2万3000人)はさまざまな交易があり、越前でとれる海産物と農具、美濃の薬草や段木とが取引されていたということである(福井河川国道事務所による着工式のパンフレット)。そして冠山峠トンネルは4.8kmであり、本州では一般国道としては一番長いトンネルになると記されている。
 徳山地域の歴史は、開通式典の時の揖斐川町の代表者のあいさつと配付資料によれば、南北朝時代は、越前の南朝方(宮方)につき、戦国時代は朝倉氏に従い、朝倉の美濃出兵に従い土岐氏を支援、織豊期は柴田・前田に従い、徳川時代は旗本として最後は幕末に至ったということである。
 越美の交流は、上述の物の交流のほか、揖斐川下流が交通の難所であったため、むしろ婚姻関係が峠をはさんだ福井の方にあり、冠山の
(ひのき)()峠(冠山峠のこと)のすぐ岐阜側ふもと、塚、(はぜ)原の集落などとの婚姻が「宗門改帳」からわかるらしい。
 また明治に入り、徳山村の陸軍管区は第九師団の鯖江連隊区(明治29年~)、同敦賀連隊区(大正14~)と越前色が濃い徳山地方という資料である。
 そのほか宗教上の往来があり、鯖江誠照寺の「お回り」(美濃回り)は、式典挨拶の中の説明にもあったが、上人様または上人様の書簡(使僧が持つ)が巡回教化する行事であり、お回り巡業と呼ばれ、山間集落で1年で一番の賑わいであったという(それはいつ頃のことなのだろうか)。それぞれの村の説教場に二、三日間滞留したらしい。
 「お回り巡行の道順」は、時計回りに鯖江(本山・誠照寺)-板垣峠(池田へ)-水海-巣原峠(大野へ)・熊河・温見-中島-秋生-(はえ)帽子(ぼし)峠(根尾村へ)-猫峠-折越峠-松田-樽見(たるみ)-長領-能郷-馬坂峠(徳山村へ)-下開田-上開田-門入-戸入-本郷-山手-(はぜ)原-塚―(ひのき)()峠(池田へ)-田代-板垣峠-(戻る)。
 岐阜県にこういう名の村々が、いまも残っているのかはしらない。しかし、こうした昔の交流の話しを岐阜側から聞かせてもらったのはうれしいことである。一方、美濃信徒側からの本山参り(納骨等)があり、徳山-冠峠(のちに檜尾峠)-板垣坂-粟田部-鯖江本山(寺内西福寺)、というコースもあったようだ。また「水海の田楽能舞」と根尾村能郷(白山神社)の「能」は関係があるという。
 冠山は、昭和46年「峰越え林道」として開通し、昭和57年国道に昇格(417号)となった。しかし、417号の冠山峠付近は7.6kmが冬期は交通不能区間であり、冠山峠道路が完成すると、現在の3時間30分が2時間20分(鯖江-大垣)となる。果して開通はいつか(?)、とパンフレットにある。

(2014 お盆に 記)