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イッセイエッセイ

961号 数値崇拝

2014年07月27日(日)

 当世の人たちは、数によって始終強迫をうけている。それぞれの分野でこうした現象が、いつ頃から広く日常的に始まったかは、歴史的に調べてみれば面白いことがあるであろう。
 古くはGDP、70年代からかニュース最終の株価と為替の動き、内閣の支持率、選挙の出口調査、人間ドックの色々な数値、受験生の偏差値、自治体のさまざまなランキング、気象や災害の予報値、TVの視聴率 etc。
 かつては普通に社会で見られた無知、無鉄砲、失敗、僥倖などの人間らしい気分や行動は、いまはそもそも数値が人間に許してくれないので、ほとんど存在の余地がなくなった。偏差値は不運という慰めの理由をなくしてしまい、政治のドラマも開票しない前から決まってしまう。
 そして遂には50年後あるいは100年後の遠い将来の人口が、現在もうほとんど動かしがたい数値として自分たちの前に立ちはだかって来たのである。この数値は全くどうにもならないものではないのだが、しかしかなりの予言の声として響いてくるので、かつて宗教が幅をきかせていた時代に逆戻りをしているような心持ちになるのである。

(2014.7.22 記)