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イッセイエッセイ

960号 人間について(続ホッブスを読む)

2014年07月25日(金)

 ホッブスの「リヴァイアサン」は、宗教批判や政治哲学に行きつくまでに、人間学を一度通過して論ずる方法をとっているから、すこぶる読みにくい。よって、ホッブス以下に曰く。前回につづいて、「続ホッブスを読む」という題になる。
 さまざまな現実の対象そのものが、人間の想像するものを初めからまとっていると考えるスコラ哲学はまちがっている。
 「対象と影像イメージまたは想像とは、別のものなのだ」(45頁)
 運動はとどめない限り永久に運動するはずだが、自分たちも運動すると疲労するので休息すると類推して、重い物体は休息するため下方に落ちて地上に止まる、と考えるのはまちがいなのだ。(47頁)
 おとろえつつある感覚を造影(imagination)とよび、退化しつつ過ぎさった感覚を記憶とよぶが、一つのものである。(49頁)
 多くの記憶を経験とよぶ。眠っている人の造影は夢である。(50頁)

 ここまで読んで来て、やや先が遠くなってきた。しかしここで止めるのも不都合。各巻に異常にくわしい目次があるので、そこから気になる言葉(人間の情念をあらわす言葉)で、かつ説明が比較的わかり易かったものを取り出してみた。読まないよりはましと思い……。
 八十種ほどの「情念」を分類し、人間とはどういうものかを説明している中から以下幾つか(第一部六章から)。

「《得意》人が自分の力と能力について造影する(imaginate)ことから生じるたのしみ・・・・は、得意(glorying)とよばれる精神の高揚である。それは、もしかれ自身の以前の諸行為についての経験にもとづいているならば、自信・・(confidence)と同じであるが、もしそれが他の人びとの追従にもとづいたり、あるいは、それの諸帰結のよろこびのために、かれ自身によって想定されたにすぎなかったりすれば、うぬぼれ・・・・(vainglory むなしい得意)と呼ばれる。……うぬぼれ・・・・は若い人びとにもっとも生じがちで、勇敢な人物の歴史や小説によって養われる。そして、しばしば年齢と業務によって匡正される。」

「《希望》獲得できるという意見をともなった欲求は、希望・・(hope)とよばれる。同じものが、そのような意見をともなわなければ、絶望(despair)と呼ばれる。」

「《小心》われわれの目的にわずかしか役に立たないものごとへの意欲・・、そしてほとんどが妨げにならないものごとへの恐怖は小心(pusillanimity)と呼ばれる。」

「《度量》まったくわずかな援助と妨害への軽視・・は、度量・・(magnanimity)と呼ばれる。死傷の危険のなかでの度量・・勇敢さ・・・(valour)、剛毅・・(fortitude)と呼ばれる。財産の使用における度量・・は、気前のよさ・・・・・(liberality)と呼ばれる。」

「《親切》社会をもとめての、人物への愛(love of persons society)は、親切・・(kindness)と呼ばれる。」

「《たのしみ》期待は、ものごとの終末または帰結についての予見から生じる。それらのものごとが、感覚において、快・不快いずれであるかにかかわらない。そして、これらは、それらの帰結をひきだす人の心の快楽・・・・であり、一般にたのしみ・・・・(joy)と呼ばれる。」

「《確信》恒常的な希望・・は、われわれ自身に対する確信・・(confidence)と呼ばれる。」(拙注《自信》と同じことか)

「《生意気》よい評判の軽視・・は、生意気・・・(impudence)と呼ばれる。」

 (ホッブス「リヴァイアサン」1651年 岩波文庫1954年初版1992年改訳、水田洋訳)

(2014.7.22 月 猛暑 記)