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957号 ホッブスを読む

2014年07月12日(土)

 最近の一票の格差論を考えていて、どうもホッブスの『リヴァイアサン』を読まないとまずいのではないかという気になった。何の根拠もないのだが、この本の名前が思い浮んできた。
 薄い本かと勘ちがいしていたのだが、ずいぶん厚い本であり、文庫本で通しの4冊である。当てが外れてしまった。
 文庫の表紙の絵、これは中世風の都市の背後にある丘陵の向こうから、王冠をかぶり、剣と笏を持った髭の超特大の大男が描かれ、顔は温和だが王のような風貌であり、山の向こうに見える上半身の部分は、群衆の集まりが模様のようになった衣服をまとった寓意的な姿なのである。これは初版の口絵をもとに、文庫本のカバーにデザインしたもののようだ。しかしこの絵を見て、今度は『リヴァイアサン』に近づくのは初めてではないと気づき、以前に読もうとしたがなげ出してしまった本ではないかと思った。しかし記憶ちがいかもしれぬのである。
 ともかく長すぎる本なので、邪道だが解説を先に読むことにした。これは第一冊の巻末にある。
 「トマス・ホッブス(1588-1679)は、ブリストル近郊のマームズベリに、国教会牧師の子として生まれた」で始まる。ブリストルの町はどこだかと地図で見ると、これはうさぎの形をしたイギリス島の膝の奥まった東海岸のブリストル湾の港町であり、今の人口は福井市よりもわずかに多い程度の都市である。
 ホッブスの生れた1588年は、かの有名なスペインの無敵艦隊がイギリス海軍に敗れた年だが、イギリスでは前の年からこの恐るべき強敵アルマダが、イギリス侵略の機会をねらっているという風評が立ち、英南部の海岸住民を恐怖におとしいれていた。ホッブスの母もその一人であったようで、恐怖のあまり早産をしてホッブスを生んだ、というエピソードである。そのためホッブスは自伝の中で、自分を「恐怖との双生児」であったと述べているという。
 解説では、この年は1518年にルターがローマ法王に反逆してから70年目に当り、最後の審判が下る年だというような予言もあって、世情不安が広がっていた。
 ホッブスがオックスフォード大学を卒業したときに、英国有数の名門であるキャヴェンディシュ家の家庭教師になる機会にめぐまれ、生涯の生活が保証された。なぜ、そういう幸運に出会ったのかについて、理由はわからないという解説である。またホッブスは、フランシス・ベーコンの秘書の一人にもなったことがあり、エッセイのいくつかをラテン語訳しているという。
 ホッブスの最初の著作は、トゥキディデスの「ペロポネソス戦史」、これについてホッブスは「いかにデモクラシーがおろかであるか、ひとりの人が、合議体よりどれほど賢明であるか」と述べているようだ。
 ホッブスは1634-36年の大陸旅行において、ガリレオ・ガリレイに会っている。また、ピューリタン革命期には、1640-51年までの11年間フランスに亡命し、デカルトとも知り合っている。
 『リヴァイアサン』は、1649年チャールズ一世が死刑に処せられた二年のち(1651年)、ロンドンで出版されており、ホッブスはその年の末にイギリスに帰国している。

 以下は本文についての引用と感想

 序説。 自然は、人間の技術・・によって模倣される。鳥をまねて飛行機がつくられる。技術はさら
     に、自然のもっともすぐれた作品である人間・・を模倣する。技術によって、国家(ステート、
     キウィタス)とよばれる「あの偉大なリヴァイアサンが、創造される」のであり、それは
     「人工的人間」にほかならない。(ここで一息)

(2014.7.上旬 記)