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イッセイエッセイ

942号 乱聴乱読

2014年04月12日(土)

  松本清張は美空ひばりの大ファンであったということだ。NHKラジオアーカイブズ(録音)で、大村彦次郎氏が進行役の宇田川さんに語っている。
 小説家として一番何が大事かについて、清張に森本哲郎(当時、朝日新聞記者)がそれは才能でしょうと誘導質問したのに対し、いや忍耐力である、どれだけ机の前に坐っていられるかだと答えたという。一方で、清張文学は三島由紀夫に評価されることが少なかったらしい。松本清張は、漱石などの小説よりも、菊池寛や芥川竜之介のストーリー性のある小説を参考にしたようである。また井上靖には先輩として共感をもったとのこと。
 また別のラジオ番組で、大村彦次郎氏は、日本の「文土」という存在が文学史上どういう運命をたどったか、文土のゆくえはどうであったかについて、興味深く且つ抑制のきいた講演をしている。

 「辞書を読む、辞書を作る」早川勇(愛知大教授)というラジオ番組で、日本における本格的な「英和辞典」のはじめは、英語を知らなかった蘭学者(蕃書調所)の堀達之助という学者が、「英蘭辞典」をもとにして、江戸末期(1862,文永二年)に編集した英和対訳袖珍辞典がそれらしい。
 例えばviolin(胡弓)、postoffice(飛脚)などのように、当時の日本人がその物を分かっているものは漢語を当て、どんな物か分ってないものは、例えばguitar(琵琶の一種)というように説明を加えるという方法をとった。英語は横書き、日本語訳はタテ書きという面白いスタイルであり、初版本は大英博物館にあるという。
 ここで英語辞書について個人的に思うことを記す。
 生徒に向って英語教師が、辞書はまめに引かないといけない、単語は前もって全部調べるべし、といった教え方をしたならば、それは望ましくないと考えるべきであろう。先ず、指示していることが通俗的すぎるのであり、辞書をただ「引く」だけでは使い方が和文英訳的であり、このやり方で終始すれば、疲れたり嫌になる近道にあろう。
 英和辞典と和英辞典を比較してみた場合、昔よりは双方とも格段に内容が進歩している。英和辞典の方は、幕末・明治期以来の伝統があり、日本人としても英語から日本語の方向は作りやすい(通訳での難易度と同じ)のであるが、和英辞典の方の出来具合は、残念なことにあまり良くない。このことは和文英訳あるいは英語を話すための辞書が十分でないことを意味する。同じ出版社の辞書であれば、和英辞典は英和辞典の逆引きになっている場合が多く、引用例が英和と同じものが沢山入っているのである。和英辞書はもっと口語的にすべきであり、最頻最強の例文を選んで説明の例文にしなければ、日常的な英語の表現力の向上には役立たないであろう。この分野の専門家の努力と奮起をねがうものである。前掲ラジオ番組の解説によれば、かつて福沢諭吉が渡米した際に、福沢は手に入れた「英華辞典」をもとに私家版の辞典を作ったという。まずは、県内の学校で会話用の和英辞書に類するテキストを作ってもらいたいものである。
 さてこの四月からは、「シンプル・イングリッシュ」という五分間の聞き流しの英語番組が始まった。これは各曜日ごとに、やさしい単語を使ったテーマの違う英文を聴くだけの番組である。英語教育の成否は、ほとんど教材の良しあしに尽きると考えられ、既に知っているやさしい語彙の組合せでどれだけ必要なことが言え、またそれを聴いてほとんどそのままわかるという実感を、番組のリスナーに持たせることは大切だろう。
 英語(外国語)は何才ぐらいから学ぶのが最も合理的か、単に早く学習すれば早く身につくというだけの議論ではない訳で、この古くて新しい問題を真剣に検討すべきだろう。この早期学習論に対してはこれまでも賛否両論あるのだ。世間の体験談から考えると、早い方がよさそうだが、同じ学年のすべての子供たちの英語学習となると、余り簡単な話しにはならなくなってくる。日本語をまずしっかり教えるべしと主張する総合高校の幹部の方もおられる。
 十日ほど前の朝日新聞の教育欄であったと思うが、外資系会社を子育てのため退職したお母さんが、自分の幼児に早期に英語教育をほどこし、自宅に専門の家庭教師まで頼んで教育している話しが出ていた(その種の専門サービス企業が東京にはあるのである)。成果は出ているようであるが、これは限られた家庭の、しかも恵まれた能力の子供の場合であろう。
 クアラルンプール郊外にある、今年20周年を迎えるマレーシア創価幼稚園では、4才~6才の390人が学んでおり、マレー語、中国語、英語の三種類の言語の教育が特長らしい。子供たちは三年間で三つの言語を話すことができるようになると書いてある(聖教新聞2014.3.31)。母語以外の言葉の基礎を習得した後、彼らがそのまま外国語を使う環境にあれば、極めて有効な早期教育なのであろう(日本人の場合、そういう条件が成り立つかどうかである)。

 有名な「動物記」を書いたシートンについて、シリーズで紹介するラジオ番組を何回か聴いた。
 狼王ロボ、また熊や鹿などがシートン動物記に登場する。しかし、その物語の動物たちが、あまりにも人間的で感情移入的が多く、どうしてそんなことが書けるのか、また主人公の動物の生態や行動が手にとるように人間にわかるのかにやや疑問を感じたおぼえがある。その点で、昆虫記のファーブルの方が、よほど自然で真実に迫っていると言う感想をいだいてきた。
 しかしこのラジオ番組で、動物学者の今泉吉晴さんの解説を聴くと、やはりシートンという人物は、ひとかどのナチュラリストであり、すぐれた動物研究家でありかつ類いまれなる動物絵作家であったということだ。このことを確めるためには、シートン動物記とその中の素晴しい挿絵を再見すべきなのであろう。

(2014.4.6 記)