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イッセイエッセイ

935号 ローマ史論 第三巻(一章~十章)

2014年04月03日(木)

 秀れた組織をもつてゐて其の生命も永いものは、己が制度自身の力によつて何度となく革新を行ふか、或ひは今言ふ制度とは無關係な出來ごとによつて今述べた革新を實現するやうになる。かやうな團體が革新されなければ永續しないことは、火を見るより瞭かである(第一章)。

(これからの最終第三巻は、一介のローマの民たちが、この国の隆昌にどう寄与してきたかを明らかにする章である、と予告す)
 「共同生活を營むにつけて、それは宗團であらうと王國又は共和國であらうと、何を措いても肝心なものは其の創始時代の繁榮を取り戻すことで、それも自國の善法により或ひはそれと同じ力を及ぼす賢人たちによつて復古を實現するやうに努め、決して異國の人たちの力を借りないことである」これが第一章の要点である。

 あまりに君主に近づきすぎて其の滅亡の煽りを喰ふやうなことは嚴重に戒めねばならぬことだし、さりとてあまり遠ざかりすぎてゐて、相手が滅亡した時すぐに其の後を承けて立つことが出來ないやうでもいけない。出來れば中道に立つのが何よりも一番正しいと知るべきであるが、固より之は不可能なことと思はれるから、君主から遠ざかつているか乃至はぴつたり其の傍に喰ひついてゐるかのどちらかを選べばいゝ(第二章)。

 (ブルーツスのことを述べている)ローマに共和制を復古させたルーキウス・ブルーツスの佯愚の例を引き、極めて賢明なひとでありながら暫しのあいだ馬鹿を装うものが、どんなに大勢いるかを、述べる。

 國家の變革、すなはち共和政治から暴君政治に、或ひは暴君政治から共和政治に、と變る場合には、何かしら人心に刻みつけられるやうな刑罰を行つて新しい制度の敵を打ち倒さなければならないわけである(第三章)。

 王制復古の陰謀に加担したわが二人の息子をみずから処刑した父ルーキウス・ブルーツスの処断と、メディチ家(派)に恩恵を施せば改心すると考えて放任したピエロ・ソデリニの優柔な精神の違い。

 第一の例によつて君主は其の國内に嘗て自分が王位を奪つた當の相手が生き永らへてゐる間は、決して心安らかに生活ができないことを會得しなければならない。また第二の例によつて君主は絶えず有力者たちに心を配り、彼らの宿怨は改めて恩賞を與へても消え去るものではない、その恩賞が往年與へた危害に比べて僅かなものである場合は殊にさうだといふことを忘れてはならないわけになる(第四章)。

 老タルクイニウス王が旧王の息子たちに殺され、次のツルリウス王はこんどは老タルクイニウスの息子に殺された。そこで国王となった次のタルクイニウスがさらにブルータスに誅せられる。(源平合戦における頼朝助命による清盛の失敗は本邦の類例か。)

 君主の心得なければならぬのは、ひとびとが永い間守り通して來た國法なり慣習なりを破り棄てゝしまへば、忽ち國を滅ぼしてしまふものだといふことである。かうして國を奪はれて初めて大いに愼重になり、よく忠言を容れさへすれば君主が國を治めるのは何の手數もかゝらぬことだと氣がつくやうになると、あゝしてなくしてしまつたのが一層残念になり、他人に責められるよりも ずんと 、、、 激しい自責の念に痛めつけられることになるに違ひない(第五章)。

 君主が謀叛の害を受けたくないと思ふなら、自分のおかげで非常に苦しんでゐるものよりも、却つて身に餘る幸福に酔って醉つてゐる連中の方に氣をつけなければならない。なぜと言ふに、前のものはその腹癒せをしようにも何の手だてもないが、後のものは思ふ存分の手筈を整へられるからである(第六章46頁)。

 「ローマ史」で一番長いのがこの第三巻第六章である。42頁にわたる章であり、マキアヴエルリの考える「謀叛論」である。この謀叛論や 随所 ずいしょ に述べている政治における民衆の性質などについては、マキアヴエルリの人間心理の観察力がよくあらわれている。
 陰謀を企てる側、受けるおそれの君主側双方において、注意すべきことをたくさんの古今の謀叛の成否例を挙げて論じる。日本人にはあまり好まれぬテーマであろう。また史記(刺客列伝)ほどのロマンもない点はリアリズムのためか。

 實力によつて建てられたものならば、必然的に多數の人間に危害を加えて國が生まれるので、その國の滅びる時に當つて曩に害を蒙つた連中がその敵討をするのは理の當然であり、かやうな復讐慾が因になつて、ひとびとは血を流し命を落すことになる。其の國が國民全體の一致した合意によつて成立し、これによつて國運の隆昌を招いた場合にあつては、國全體が破滅の淵に立つても、その國主に危害を加へる以外に誰に對しても迫害する理由がない(第七章)。

 (逆にこの短章は一頁あまり)
 数々の変革において、多くの流血を見る場合と、そうでないものがある。その国が出来たときに、多くの人間が犠牲になっておれば、そのうらみにより戦慄すべき事態が生まれる。

 人間は其の事を行ふにあたつて、殊に大仕事をするについて、須く潮時を計り能く之に乘じるやうにしなければならないことである。ゆゑに目算違ひをしたり或ひは生れつきの氣質のために、その時勢に乘つて行かない人間は、すること爲すこと總べて失敗する始末になる(第八章)。

 もうすでに人民が腐敗している都と、自主独立の祖国愛にもえている都とでは、時勢が全くことなるので、権力を奪取するための方法は同じでないという総論部分である(次章以降へ)。

 私たちが順應して行けないといふことについては、二つのことが其の原因になつている。そのひとつには私たちの有つて生れた性質に基づく傾向に對しては、どうしても反抗することができないのと、その二つには或る手を打つて或る男が首尾よく事を成就したとなると、逆の行き方でやつても同じやうに成功すると説得しようとしても到底それは不可能だといふこと。かういふことが因になつて人間の運不運が岐れる。といふのも、運命は時世を變へしかも決して物事の流儀を變へないからである(第九章)。

 この章の表題は「當に幸運に惠まれたいと思へば、どういふ風に時勢とともに變化して行くのがいゝか」である。
 人間の運不運は時勢に適応できるかであるが、これはほとんど困難だという。ハンニバルに対する将軍フエビアン(守勢)とスキピオ(攻撃)の戦いぶりはそれぞれその気質と時勢に合ったが、フィレンツェの人情家ソデリニやイタリア統一を夢みた短気のジウリオ二世は、いった人は時勢に合った後に合わなくなり破滅した。(ナポレオンの進軍に対するクトゥーゾフ露将軍の後退劇は近代戦での好例か。)

 明かに士大將が陣立てを構えた儘でゐたいと思ふ場合に、敵勢がどんな犠牲を拂つても是非とも一合戰と肚を極めてゐれば之を避けることは何としても出來ないものだと見極めをつけなければならない。ゆゑにこれについて次のように言ふ以外には何の指圖も出來ない。すなはち合戰をするなら敵勢の出方に應じてせよ、味方の都合によつてはならぬと。(第十章)。

 趣旨のやや不分明な章である(相手が戦う気がないのならこちらも無理をする必要はなく、相手がどうしても合戦を挑むなら、応じなければならないという意味か)

(2014.3.30 記)