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イッセイエッセイ

932号 ローマ史論 第二巻(二十一章~三十章)

2014年03月28日(金)

 或る都が今まで自由な生活に慣れてゐるか、或ひはその土地のひとの手で治められてゐる場合には、遠國の支配を受ける方が、假令そのために幾分の邪魔が入るにしても、毎日自分たちの眼の前で壓制が行はれ、言はゞ日がな毎日、自分たちの奴隷根性を責められてゐるよりも遥かに滿足感を與へられるし、遥かに樂な氣持でゐられる(第二十一章)。

 ローマ帝国が支配した際のテクニック、つまり相手国に僅かの条件を課し、淡々と間接的に支配した態度のうまさを、マキアヴエルリは述べているのである。

 實のところ、世の中の事件などといふものは、得てして人間に感違ひさせて、必ず自分の思ふ結果になると考へさせるやうになつてゐるとさへ思はれる(第二十二章)。

 両軍を戦わせてしかる後に勝った方を攻撃する、といった観念的な俗論は、実際の戦史を調べていかに空虚であるかを、説いている。

 一つには、謀叛人に對しては恩を施してやるか、さもなくば鏖殺するか、その何れかにしなければならぬといふこと。その二つには、寛仁大度の心持とか或ひは道理に叶ふ言葉が、賢明な人士を前にして説き示されると、それがそんなに力強いものになるかといふこと(第二十三章)。

 「國務を決める場合には必ず中途半端な處置を避け、ただひたすらに徹底的な方策の樹立だけに專念すべきである」、と言うリーウィウスの言葉を伝える。ラティウム人の処置に対するカミュルスの演説「叩きのめされて彼らが未だに呆然としてゐる間に、或いは刑罰を科し或いは恩惠を施して、彼らの心を力強く掴まなければならない」を好例として引用している。

 君主は精兵を作り得られゝば、砦を築かずとも事を行ふことができる。誰によらず精兵をもたないものは、これを築いてはならぬ(第二十四章)。

 平時であれ非常時であれ、城砦を築くことは無益であることを、古今の例を引いて主張する。戦国の信玄と同じ考えである。

 ウェーイイ人はローマ人の内輪もめに乘じて、手輕に相手をたゝき伏せられるものを思ひ込んでゐた。ところがその進撃によつてローマ人は仲直りをしたので、却つて自分たちが敗北を招く因を作つたことになつた。それといふのも、共和國での内輪もめも、元を質せば泰平ゆゑの閑な暮しが因になつてゐたからであり、また一致團結の原因は恐怖と戰さとだつたからである(第二十五章)。

 内輪もめのある都に攻めかかって、その騒ぎに乗じて占領しようとするのは愚策である。むしろ双方にさとられぬよう適当に加担し弱化させるべき、とマキアヴエルリは言う。


 惟ふに人間が何よりも一ばんに自分の賢明さを見せるのは、どんな脅し文句も或ひは惡口雑言も構へて口にしないことである。それといふのも、いづれにしてもそのために敵の氣勢は挫かれないばかりではなく、更に前者は相手を餘計に用心させるし、後者は諸君に對して激しい憎しみを懐かせ、諸君を撃たうと様々に苦心させるやうになるものだからである(第二十六章)。

 「惡意があらうと冗談であらうと、誠しやかな口吻で非難されるほど聞くものの心に厭な後味を遺すものはない」

 聰明な君主または共和國なら勝戰さだけで滿足しなければならない。蓋し限度を超えると、滿足できないばかりか却つて痛手をうけるからである(第二十七章)。

 「(自分よりも遥かに強い軍勢に攻めかけたれた場合)ともすれば陥り易い過ちのなかでも一ばん大きなのは、和睦を申し出られた時に之を撥ねつけることなのである」
 ハンニバルがカンナエでローマを打ち破ったときに老市民ハンノーンの助言、アレクサンドロス大王に対する都テイロ(フェニキア)の拒否、1512年エスパーニア軍によるフィレンツェの拒否が例。

 たとえ些かのことでも、既に何かしらひどい(、、、)目に遭はされてゐる上に、また新しい痛手を負はせないやうにしなければならない。さういふ目に遭ふと、その人間は怨念晴しのためなら、そんな危險、たとへ己が命を失ふことでも敢へて辭しない氣持になるものである(第二十八章)。

 ところが決して棄鉢になつてはいけない。それというのも、その肚(運命のこと-拙注)は一向分らぬもの、人知れず間道を抜けてやつて來るものなのだからで、從つていつも何かしら希望をもつてゐなければならないことになる。この希望があればこそ、人間はその身の上がどんなであらうと、ふりかゝる災ひに苦しめられようとも、斷じて我と我が身を見限つてはならぬものなのである(第二十九章)。

 マキアヴエルリは一種の運命観をもち、「人間が運命の波に乗るは易くとも逆らふは難いといふこと」を理解していたが、それ故に「希望」を失ってはならぬことを強調する。

 さまざまな様子から一國の力を察し得られるが、なかでもたゞ一つ、その隣國との交渉の仕方を見れば足りる。つまり國を治めるに當つて、隣國がその國と友好關係をつゞけるために貢献する場合、それが此の國の力強さを何よりも確かに示すことになる。ところが、・・・隣國が此の國より劣つてゐるに拘らず、逆に黄金を取つてゐる場合には、これほどはっきりと此の國の弱さを證據立てるものはない(第三十章)。

 強大な国家も「心臓や生命の源泉こそ氣をつけて丈夫にしておかなければ」、たちまち弱体化する。往時のローマと異なり、アウレリウス帝の後のコモドス帝の時代になるとゲルマン人の一部に貢いで平和を維持した。人民の武装は解除されたも同然になり、ローマ帝国滅亡の始まりとなった、と述べる。中華が文弱化した時代は、北方蛮族に黄金を与えたことが世界史の教科書にある。

(2014.3.27 記)