西川一誠後援会サイト

イッセイエッセイ詳細

イッセイエッセイ

930号 ガラスの記憶

2014年03月26日(水)

 うすい肌色の夕べの雲が、西空の雲のやや重なりの少ない空間に拡がり出して、空全体を明るくしている。しばらくして、沈みゆく太陽がほんの短い間だけ雲を透かして丸い影を現わす。それから一時間近くしても、空はまだ暗くならず、青い灰色のままなかなか日が暮れない。
 遠くの景色から自分の眼の焦点が、透かし見ている窓ガラスに移る。早春の塵と雨によってガラスが汚れている。
 そしてガラスの表面に、斜めに白い傷跡が、10センチほどの長さに走っているのに気づく。何かが擦れてできたこの細い一線に眼を近づけているうちに、突然に子供の頃の記憶がよみがって来た。それは近所の建具屋の中学生が、ガラスにカッターで線を引き、ガラスの両端に力を加えて切断している風景である。それをまた子供の自分が眺めている風景なのである。
 この何十年も前の記憶の、およそ反芻をしたこともない一つの記憶が、にわかに甦って来たのは何故であろうか。とても不思議に思ったのだが、静かな春の暮れゆく景色とそれに応じていた自分の心がそうさせたのか。それとも何かの都合で脳をつつむ外側の殻が緩み、遠い記憶への裂け目が生まれたのかもしれない。

(2014.3.16 記)