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928号 望月のころ

2014年03月18日(火)

 庭の梅がこのところポツポツと白く咲き出し、廊下を通るたび窓外の梅の木におのずと目がゆく。
 きょうの夕方六時すぎのこと、結婚祝いの色紙を書いたあと廊下を歩き乍らまた庭に目をやると、まだ暮れゆかない青い東の空に、丸いきれいな月がくっきりと懸かっている。白梅の点々とする枝をすかして、ちょうど向こうに満月にちかい美しい月が配合されてあり、それはまるで日本画の一幅を鑑賞しているような印象なのである。
 さきほどの午後、県立美術館で「棟方志功展」を覧たために、そんな気分になったのかとも思うものの、それにしても良い景色にめぐりあって、独りしあわせを感じた。
 そしてきょうの月を弥生(三月)の月と呼ぶべきか、それとも二月のものなのか、やや興味もわいて調べてみれば、ちょうど旧暦如月きさらぎ(二月)の十五日に当ることがわかった。
 そうであれば、かの西行法師が詠まれた有名な歌そのものの景色ではないかと思った。

   ねがはくは 花のしたにて春死なむ
    そのきさらぎの 望月もちづきのころ(山家集)

 日本人であれば今夕の梅と月とそして空の様子は、この西行の歌がねがっているように、早春の自然の中に我が身がとけこんで、そこから新しい生命を得ることができるが如き心持ちになった。

(2014.3.15 この日に記)