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925号 ローマ史論 第二巻(一章~十章)-ローマ人の領土の擴張策

2014年03月05日(水)

 第二巻の緒言。
 マキアヴエルリのローマ史への態度と、この第二巻がローマの対外的な拡張戦略を論考する章であること、を述べる。なお第一巻はローマの都うちのことを論じていた。
 この巻は各章の長短が比較的ふぞろいである。

 人間が常にわけもなく昔を讃美し現在を貶すには、もう昔の風俗習慣について十分な知識がなく、かつそれらが現在のように自己の利害に直接影響したり、不愉快にする要素がないので、そういう間違いをしがち。
 「さてこそひとは今の世を罵り古の世を讃美し、別にこれといって尤もらしい譯があっての望みでもないのに、やはり未來に希望をかけるのである」と記す。

 假りにローマと同じ發展ぶりを示した共和國が今日までにあつたとしても、ローマのやうに征服力をもつた制度のある共和國は、今日までに一度もなかつた(第一章)。

 プルタークやヴァージルは、ローマの覇権を幸運のせいにしているがマキアヴエルリは反対論をとる。ローマの興隆を「稀にみる幸運と勇気と智謀の融合だ」と理解する。
 ローマは一度に二国を相手に決して戦争をしなかった。また、他国に侵入する場合は、そこにある味方の国をすでに手なづけこれを使った、と記す。これは後代のモンテスキューが言うところの、ローマはいつも自分の都合のよいとき都合のよい口実をつけて他国を侵略した、という主張に通じる。

 大ていの場合、君主自身の利益になることは國家にとつて有害であり、國家にとつての福祉は君主自身の私益を害するからである。かういふわけなので、自由な生活状態のなかから覇道政治が突如として出現する場合、その結果として國家の蒙る損害のうちで先づ最小のものはその國の進歩發達の停滞することであつて、かうなるともう(、、)その國力も國富も之を強化充實させることができなくなつてしまふばかりか、殆んど常に、いな寧ろ常にその國は退歩するやうになる(第二章)。

 ローマが大国として発展するまでの旧世界は、それぞれの国々の独立自尊の心は強く、人民は自由を熱望し、勇猛心に富んでいて、宗教も現世利益主義であった。マキアヴエルリが言うには、こういう精神が当代なくなったのは、ローマの征服のせいであるとする。
 ただ、ここに言われる「自由」とは、近代的意味での概念とは思われず、むしろ他から圧迫を嫌悪する各民族の野蛮奔放の心情のことを指すのではないか、と愚考する。

 ひとつの都に廣大な領土を有たせたいと思ふひとは、誰によらず其の都に住民を溢れされるためにあらゆる方策を講じなければならない。人間が有り餘らないと都は決して大きくなることはできない。これは二つの方法、温情と力によつて達成せられる(第三章)。

 ローマは相手の都市を徹底破壊した上で、自分の都に住民を強制移住させ、また外国人にも門戸を開放して安住させた。これがアテネやスパルタとの住民政策の違いであり、そのためにローマの軍勢の方が優位を得た。

 共和國が大國となるために三つの方策を採つた。ひとつは數多の共和國が同盟を作りその各國は互ひに平等の權力をもち、一國の征服戰にほかの諸國が参加すること。第二の方策は同盟を作ることだが、命令權を握り帝都を作り、戰果を自分の手に収めること。第三の方策は他國を同盟國としてではなく直接の屬領とすること。これら三つの方策のうち、最後のものは全く何らの利益をも齎さない(第四章)。

 實のところクリスト教が成就した仕事といへば、異教徒中の卓越したひとたちの仕事についての思出をすら悉く之を完全に消滅させたことだけである(第五章)。

 この章は大筋とは余り関係のないつなぎの部分である。

 戰さをするにはフランス人のいはゆる大軍即決(コルテ・エ・グロッセ)を原則とする(第六章)。

 ローマの戦法は大軍を提げて野戦に臨み、あらゆる戦さをできるだけ短い時間で片づけた(すべて6~20日ぐらい)。戦勝後は、敵地を私有地あるいは移民を送り植民地として防御させた。この戦法をマキアヴエルリはフランス方式(その時代の)だと言うのである。

 移民たちは廣い土地よりも狭くても見事に耕作ができれば、それでいゝと思つてゐた(第七章)。

 史実は定かではないが、貧乏な人民をできるだけ沢山、植民地に移住させるのだから、各人の土地は広い必要はなく1町ほど(訳者注による)であったという。

 切實な必要に迫られて生國を離れざるを得ない人民は、何ものにも優つて勇猛果敢で、これに對抗させるには餘ほど立派な軍勢でなければ、到底十分に防げるものではない(第八章)。

 マキアヴエルリはこれまでの戦争の背景を分析し、原因が(1)君主や共和国の野心によるもの、あるいは(2)飢餓や戦禍のために新天地を求めて住民移動によって起るもの、の二種類あることを、歴史を挙げて述べている章である。

 假に私が或る君主を相手に戰さをしたいと思ふ場合、その君主とは頗る永年のあひだ盟約を結んでゐるとしたら、その君主自身よりも寧ろその友邦のひとつに對して何かしら口實を設けて攻めかゝるやうにする。そのとき君主が之を見て腹を立てたら最後こちらの思ふ壺で、すぐに彼を相手に戰さができる(第九章)。

 強国間で戦さが起る一般的な原因は、ある強国が相手強国の同盟小国を助けたり、口実を設けて同盟小国に侵入することによって起る。ローマとサムニウムの戦争、カルタゴ戦(第二ポエニ戦役)を例として挙げる。
 現代におけるアジアにおける日米同盟の関係、周辺国における意味について。

 世間一般の考へとは逆だが、戰さの原動力は黄金ではなく精兵であると私は言ふのである。それといふのも、黄金があつても精兵を得られないが、精兵はいつでもすぐに黄金を見つけて來るからである(第十章)。

 金銭が豊富であれば戦さに勝てるつまり原動力となる、という通説にマキアヴエルリは強く反対する。
 「何が一ばん間違つてゐるといつても、世間一般の考えのやうに、金銭が戰さの原動力だと言うことほど間違つてゐるものはない」と言う。実例として、イラン王クルシュ対リディア王クロイソス(BC6 ソローンとの対話)、スパルタ対ペリクレス(とアテナイ)、アレクサンドロス対ダレイオス、ローマ人対ギリシア人(二つのマケドニア戦役)、スイス対シァルル豪王(15Cのナンシィ戦)などを例証する。

(2014.2.25 記)