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イッセイエッセイ

923号 ローマ史論 第一巻(五十一章~六十章終り)

2014年02月26日(水)

 共和國または君主は必要に迫られて施す恩惠であつても、下々を憫むゆゑの振舞であるかのやうに見せなければならない(第五十一章)。

 賢明な人たちは、如何な場合でも、必要止むを得ず行うことでも、これらに箔をつけたり、恩恵であるようにみせる術を心得ている、と言うのである。下からの御為倒、御為尽に類する上からなされるもののことである。

 或る共和國殊に腐敗した國では、誰かひとりの市民の野心に對抗するのに何が名案であり、大して紛紜も起さず頗る手軽に行へるといつても、その市民が權勢を振ふやうになる出世のみちを先廻りして塞ぐほどいゝ手だてはない(第五十二章)。

 人民が見てくれの美しさに欺されて我が身の破滅を(こいねが)ふことは珍しくない。ゆゑに彼らには大きな希望と思ひ切つた約束とをさへ與へれば手軽に附いて來る。かやうに、人民が權力を握つている共和國を何の苦もなく滅すには、無鐵砲な企てをやればいいと言へる(第五十三章)。

 「人民が口のうまい噓つきに欺かれ我と我が身の破滅を冀ふのも珍しくない」、「人民が世間に有りがちなやうに、物事や人間に欺かれて誰であらうと人を信用しない廻合せになつてゐるときには、その國はどうしても亡びないではゐられない」とマキアヴエルリは述べる。
 マキアヴエルリは力説する、「人民に口說き立てることがらが眞實彼らの利益になると分り、それがいかにも感激すべきことだとなると、下手をすると國の破滅がもたらされるにきまつてゐる場合でも、これを何の苦もなく人民大衆に承知させることができる。これと同時に、一見いかにも下々の策で自分たちの損になると思はれるときは、それがどんなに國利民福に寄與しようとも、これを大衆に承知させるのは中々難しい。これこそ(さき)にローマや外國での古今の先例を數限りなく提げ來たつて論證した所以である」。本書全体の要点ともいえる部分である。ハンニバル戦におけるファビウス将軍、アテナイのシチリア攻めにおけるニキアース将軍の正論と苦境。

 罵り騒ぐ大衆を抑へるのに何が一ばんいゝといつても、姿を見せるだけで尊敬の念を高める人物が立ち現はれること以外に適切な方策はない(第五十四章)。

 「重厚有徳すくれて敬はるゝ士の立ち現はるゝとき
ひとは黙して心澄まして待つ」(ヴァージル「アイネイアス」から引用している)

 現に極めて平等か乃至は平等の極致に達し得る下地のある土地においてこそ共和國を建てたいと思ふものは之を成就することができる。君主國を建てるものは、不平等な社會のある土地においてこそ成功する(第五十五章)。

 共和制の徹底した国としてスイスの例を(訳注によると、マキアヴエルリはいつもスイスをドイツと混同して書いているらしい)、また一見、君主国になりやすいとみられたヴェネツィアは、実は貴族といわれた人たちも名誉をもった富裕な商人にすぎず、土地や城をもっていないので共和国になじむと分析する。

 一國または一地方に惹起する大事件には必ずその前兆があるか或ひは之を豫言するひとたちがゐるものである(第五十六章)。

 マキアヴエルリがいつも必ず事件の前に予言があったと記すのは、人々の気持がすでに前もってそうなっている、ということを別の表現にしたのかもしれない。

 平民は大勢一緒になつてゐれば大膽不敵だが離れ離れになると弱い(第五十七章)。

 これはヴァージルの「ローマ史」からのマキアヴエルリの引用である。そして、この先人の言葉ほど大衆の本質を明らかにしたものはないと記す(群集心理の着目のはじめか)。

 人民の病氣を癒さなければならない場合には言葉だけで十分だが、君主の病には白刄を使はねばならぬ(第五十八章)。

 人民が移気で軽薄の欠点があるといっても、君主に比べたらましであり、賢明でむら気がなく安定しており、これはローマやアテナイの政治をはじめ、「人民の政治の方が君主の政治より秀れてゐる」多くの実例をあげることができると述べる(これまでの数章とは矛盾するようだが、そうではなくより総合的に見ると一人の君主の方が身勝手だと通説に異を示しているのである)。

 危機が目前に迫る土地では、君主よりも共和國の方がずつと安定力をもつてゐる。共和國は、君主と同じ情念をもち同じ意欲をもつてゐる、しかしその國策の決定が手つ取り早く運ばないのは當然なので、君主が決心するよりも遥かに手間取り、從つてその約束を破るのにも中々暇がかゝる(第五十九章)。

 「あらゆる同盟は利益によって破られる」。多くの前例をみても、君主は一寸した利益に釣られて信義に背きがちだが、人民はそうではなく、また決裁にも時間がかかる、「人民は君主よりも過ちを犯す場合が少い」から同盟の相手としてはより信頼ができると述べている(前章からの当然の帰結か)。現代における日本と中・露・米との意思決定の早さなどを見よ。

 ローマでは今まで一度も年齢を問題にしたことがなく、その代りにいつも力があるか無いかに注意し、これによつて青年か老人かの區別をつけてゐた(第六十章)。

 血統(身分)や年令に拘泥せず、ローマ共和国は抜擢する風習をもっていた、とマキアヴエルリは記す。コルウス(23才)、スキピオ(30才)、大ポンペイウス(23才)の例を引く。そして「この風習の利害得失については熟考を要するし、議論もまた多いにちがひない」とも言う。

-第一巻終了-

(2014.2.23 校記)