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イッセイエッセイ

910号 「悩みと光」(小品集)ヒルティ著作集8からのアブストラクト(4)

2014年01月16日(木)

 以下は前号につづいて。

(永遠の生命)

 「(著者注記)何故に現今の牧師が往々にしてついに社会主義に転向したかの深い理由である。社会主義は少なくとも同主義にとって唯一である現世生活の改善を力を尽していとなむということである。」(290頁)


 「それゆえおそらくこう言うことができる。人格が肉体なしに生命を存続することは、高度にあり得そう(・・・・・)である。」(299頁)

※幸福の国ブータンの仏教における生命観は「輪廻転生」である


 「(著者注記)官吏の保養や『慰安』が妨げられてはならない。官吏のきわめて緊迫した義務のためにはなおさらのこと。」(308頁)

※うれしいことを書いてくれる。今は反対の風潮である

一○
 「(著者注記)日本人が日露大戦〔一九○四―五年〕で倒れた忠実な軍馬のために公けの記念碑を建てたことは、感動的な美挙であり、われらヨーロッパ諸国民の深く慙愧したところであった。」(324頁)

※めずらしく西欧のことではなく、百年余り前にわが日本のことが書いてあったので、とくに抜いたのだと思う

 

(力の秘密)

 「多くの人々は、今日この力を()力、すなわち身体の完全な健康に求めている。だから治療術の偶像化が生じた」(336頁)

 「ほかの人々は『()は力である』という豪語を鋳造した。」(同頁)

※あるラジオ番組で、江戸時代の大きな関心は「孝行」であったが、現代のそれに当るのが「健康」ではないかと言っている


 「現代のあらゆる欠陥あることがらや理解に苦しむことがらの原因は、愛の欠乏と愛への渇望とである。(中略)多くの名誉心も誇大妄想も、愛へのわけのわからぬあこがれに過ぎない。(中略)人間はパンのみによって生きるのではなく、心の中にまた生じなければならない友情と同情をも求めているからである。」(340頁)
 「およそ客観的なものではないところの、人生の幸福が問題ではなく、幸福感(・・・)が問題である。この幸福感はほとんど全く、心にもち心に受ける愛によって生ずるものである。」(341頁)

※ここ数年さかんな「幸福論」や「希望学」に通じる


 「しかしながら(・・・・・・)どのようにして愛に至るか(・・・・・・・・・・・・)。あなたがたはこのことについて見当ちがいをしないように。愛とはそう安易なことではない。(中略)母性愛すらも過大に評価することがあり得る。これはしばしば洗練された利己主義にすぎず、どんな動物ももちあわせているような感情である。愛は、少なくとも最初のうちは、一大決意(・・)である。この決意は、普通の人生観とは全然異った人生観にもとづいている。この理由から、いわゆる『キリスト教的な』愛も、この正しい基礎がときおり欠けているので、幾分不信用を招来した。」(342頁)

※この摘要も宗教的な部分を略している(1つの問題である)

 「それゆえに、実例や人生の経験の助成によるのでなければ愛を養成することができない。」(同頁)

※江戸期の偉人のエピソード(たとえば森銑三「偉人暦」)を読むと、儒教の力による「利他主義」の例がたくさん登場する

 「私自身は、およそ本当の愛というものを、私の人生の第二期に入って始めて見たのであって、それ以前は全く知らなかった。」(同頁)
 「(著者注記)性来利己主義である人間というものは、自分の安泰のためには、真の愛に結びついている不便を忍んだり犠牲を払ったりすることを逃遁しなければならないものと、長い間思いこんでいるからである。(しかし、このような不便や犠牲は報いられるものである。)」(同頁)
 「愛への第一歩がすでに一つの困難な踏み出しである。なんぴとも超自然的援助なしには容易にこれをなすことを得ないであろう。(中略)自己からの離脱(・・・・・・・)、すなわち自己自身に対する人間の客観化というものである。」(342頁)
 「『自分自身に対して反対党となる(・・・・・・・・・・・・・・)』」ことによって達することができる。」(343頁)


 「この自己客観化、すなわち自己放棄は、神の明らかな恩恵と援助なしには容易に達することができない」(344頁)
 「われらは神を『人格』として考えねばならない。なんとなれば、このような実在性(リアリテート)に対してわれわれはいかなるほかの思考様式ももたないからである。」(347頁)


 「神愛の背景と基礎がないなら、人間だけの愛が最善なものであっても、それは全く相対的関係の上に成り立っているものであって、利己主義の上品な形式の他のなにものでもない。それは絶えざる動揺にさらされており、自己欺瞞や他者の欺瞞のために、その暴露を小心翼々と警戒しなければならないようなわけである。この暴露となるや、おおかたことはおしまいである。」(354頁)
 「『幸福な』結婚とか、良き永年の友情関係も、そのような、全生涯を通して相互に全き暴露をなんとか避けてきた相互的寛容(・・)の関係に過ぎないものがしばしばあるのである。」(同頁)

 「さらに適切に言うなら、人々が悪を行ったことが知れると、非難するのである。かくれた不道徳はなんら害わない。」(356頁)

一○
 「(著者注記)アウグストゥスは、『友らよ、喝采せよ。喜劇は終った』との言を吐いて死んだ。」(366頁)

一一
 「(著者注記)復活がなかったならば、もちろん人々は、キリスト教とエピクテトスの克己主義といずれがよりよいかを疑い得るであろう。」(372頁)

一二
 「愛の正反対は第一に恐怖(・・)である。愛さない者は、恐れる。」(374頁)
 「それゆえにルッターもひとの親たちに忠告して、『幼年時代に人間の心に恐怖の根が生えるようなことをしてはならない、そんなことをするとその人は恐怖を決して再び根こそぎにすることができなくないから』と言った」(375頁)
 「恐怖となんら特にちがわないものは心配(・・)であって、通常未来に対する恐怖を心配といっている。」(376頁)
 「最も愛し難い人はおそらく悪人ではなく、かえって一方では愚直な利己主義者である。彼らは自分の利益と便宜は権利と信じ、自分の周辺をとりまく一切のものがこの権利に服従するのは自明のことと思っている。兄たちという者はとかくこういう(たぐ)いである。」(381頁)

一三
 「習慣は次第に形成されてゆき、それらの一つの習慣は他の習慣を支持し発展せしめ、ついにそれらの習慣が第三者の眼には渾然たる統一体の如く見えるに至るものである。」(387頁)

※プラグマティズムは習慣を社会的な経験と理解している

 「批評せず、また出来得べくば決して(いな)と言わぬ習慣。」(388頁)
 「また出会うどの人をも『判断』しないではおられない。『あなたはあの人をどう思いますか』とは、他人に対して彼らが絶えず発する問いである。それによって彼らはまことにしばしば、事物の然るべき知識もないのに判断をくだし、かえってその判断を取り消さねばならない羽目におちいる。」(同頁)

※人は天気のよいときにはわからない

 「ひとが思うより、見解の重大な相違ははるかに少ない。多くのことはどっちへ転んでもさしつかいないことであり、多くの相違は単に見かけだけであり、相違は表現にあって、内実に存するのではない。」(同頁)
 「そうでない他の人々とはもはやほとんど交際したくなくなる。なぜなら彼らを何かにつけて()いなければならないし、またはまず骨折って説き伏せなければならないからである。」(同頁)

※会うたびに繰り返し同じことを言ってくる人はどういう考え方なのだろう

 「出来るかぎり然諾の習慣を自ら養うがよい。このことは人生を気楽にし、愛の心根に適合する。また同様に些細なことはいつも些細なこととみなす習慣をつけよ。」(389頁)
 「(著者注記)しばしば『否』を『然り』への修正の形に仕立て、これによって他人にもっと容易に消化させることができる。」(同頁)
 「あなたは最も愛に充ちた路を選ぶことを貫き徹しなさい。その際さらに次のことに留意しなさい。人々がすることを好まない(・・・・)ような〔天的な〕愛の行為は特に(さい)(わい)であるということを。」(同頁)
 「つねに様相(・・)にも親しみがあらわれるように習慣づけなさい。」(同頁)
 「だれにでも軽々しく、荒々しい言や軽蔑の言を発しないように。しかるべき場合に親しみのある言を用いることを決して怠らぬように。」(390頁)
 「つねにすべての卑賤な者や弱小な者に非常に親切でありなさい。これはそのような人々にとって彼らの圧えつけられた生活に一閃の陽光となり得るからである。」(同頁)
 「動物や植物にもあなたの親切をわけてやりなさい。それはまた愛の練習の一つである。」(同頁)
 「几帳面も信頼されるに足ることも同様に愛のために必要である。」(同頁)
 「(著者注記)一つの除外例をもっている。それはまったく不必要な質問や要求には応答しないことである。これはしばしば最も愛に満ちた遣り方なのである。」(391頁)
 「心付けといったたぐいの自発的な贈物に関しては、その分量は少なすぎるよりもいつも多過ぎるようにすることである。」(同頁)
 「どうしても愛することのできないものは、これを棄てなさい。思念(こころ)の中でももはや断じてそれと関わらぬがよい。」(同頁)
 「ひとはおよそ人間を見るに、そのあるべきすがたをもってせず、そのあるがままのすがたをもってしなければならない。(中略)これがあらゆる教育と社交の原則であり、またその目的である。」(393頁)
 「卑賤な人々、たとえば郵便配達人、市街掃除人、点燈夫、そのような多くの他の人々に親しくなるように努めなさい。」(395頁)
 「ひとはどんな仕事(アルバイト)でもただ愛をもって(・・・・・・・・・)しなければならない。そうでなければ仕事はすぐいやになるか、または余りにも疲らせるかである。元来は強めるはずの仕事がかえって然るべき果を結ばない。」(同頁)
 「普通人の普通の閑談となっているところの、人々のうわさばなしをする習慣は、真面目にやめなければならない。そんなことからは人のそしりのほか何もでて来ない。」(同頁)

一四
 「地上の生存だけしか知らず、来世生活に関しては僅かなそして同様に非常に魅力的とは言い難い観念をもっていたに過ぎなかったギリシア人は、青年の花盛りに死ぬ人は恵まれた神々の寵児であると解明していた。」(398頁)
 「愛が性来の利己心に対して勝ち(まさ)るには、老いぬさきに愛の境地に達していなければならない。」(同頁)

(2010.5.21摘記)

 上記は白水社の1980年版からの摘要であり、前文は今回附記した。なお原文の一部には今では使われていない言葉もあるが、そのまま抜き書きしてある。(2014.1.12付)