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907号 「悩みと光」(小品集)ヒルティ著作集8からのアブストラクト(1)

2014年01月16日(木)

 構成的で全体性をもった著述を抜萃したり、摘要を作ることは、一般に望ましいことではないが、少なくとも原作に立ちかえるための便とはなるであろうから、そうした。※の部分は今回この摘要を読み返しての「拙注」である。

(読書について)

 「最大の難事は決心して足を踏み出すことそのことではない。決心した当座の熱がさめてしまうと、しばしば実にあじけない感じになるものだが、そのときにもなお、一旦踏み出した道をあくまでも歩みつづける、ということが最大の難事である。」(9頁)

※継続、あせらず、たゆまず、こつこつと

 「よいことであろうと万事につけて節度を守ることが、すでにアリストテレスも大いに称揚したように、人間の完璧さの在り方であって、このことは大変つまらないことのようであるけれども、これほど真実なことはない。」(10頁)

※ストア派のマルクス・アウレリウスも言う。

 「実際、近代人のあらゆる教育手段のなかで一番大きなものである読書も同じことであって、現代はよいことや最もよいことにおいてもはめを外す傾向が明らかであるから、読書の条件をこれから説明することにしよう。」(11頁)

(一)
 「たくさん規則的に読むこと。良いものを全部読むようにして、悪いものや全然よけいなものを一つも読まないこと。それから良いものを正しく読んで、それを自分のものにすること。」(同頁)

※少数精読

 「たくさん読まなければならないのは、まず第一に、自分一個人が生きてゆく上に必要な知識を身につけるためである。それから第二に、自分の生きている時代だけではなく過去の諸時代にわたって、人間の全部の生活と思想とについての正しい見通しを獲得するためである。」(同頁)

※Study something about everything and everything about somethingがハックスリーの言葉であったか。

(二)
 「現にある良いものを全部自分で読むようにしなければならないという第二の必要条件は、それよりもむずかしそうに見える。」(14頁)
 「規則的にすなわち毎日例外なく一定の時間、ほんの半時間でもいいから読書をする習慣をはやくつけることである。」(15頁)
 「無用のものを一切読まないということである。これが読書のかなめ(・・・)だとさえ言ってよい。」(同頁)

※たえず気が拡散して一事に専念しにくい心について

 「人間の悪しき状態をことさら研究したがるのは、たいていそういう状態へおちいろうとする気持がまだ残っているのを粉飾するための口実である。自分の場合でも他人の場合でもそうだと考えてまちがいない。」(17頁)
 「すべて純粋の専門書に関しては、一つだけよい規則がある。『自分の領分を守れ。』自分になんの関係もないような、そして自分が徹底的に習得することもできないし習得するつもりもないような、単なる専門的なことがらについては、できるだけよい本からはっきりした知識を獲得して、それが済んだらそういうことにかかずらわないようにすることである。」(18頁)
 「原作第一主義をとり、その作家について第三者が書いたものをずっと少く読む、ともかくそれだけを読まないようにするということも、読書を格段に楽にするゆえんである。」(19頁)

※石橋湛山もこのように曰く

 「いっさいの人事がそうであるように、読書の場合もけり(・・)をつけることができなければならない。」(20頁)

※考えることから行動に移すということであろう

(三)
 「以上のことに対しては、言うまでもなく第三の大条件がひかえているわけである。それは、いっさいのよいものを正しく読み、その上これをたびたびくり返す、ということである。」(同頁)
 「どの本にも読者が特に示唆を受けたり教えを受けたりする部分や個所がいく所かある。そういう個所を私たちは、なんらかの仕方で心に受けとめ、くり返し研究することによってそれを徹底的に自分のものにするようにしなければならない。」(24頁)

※抜萃や摘要が許されるということかも

 「私自身はむしろ、心に刻みつけたり欄外にメモを書きつけておくことにしている。せわしい場合には本の何頁かをちぎり取って、残りは現代のレーテ河〔ギリシア神話に出てくる忘却の河―訳者〕ともいうべき用意の紙くず篭の中にほうり込んでしまうことさえしかねない。」(25頁)
 「明け方の一時間と日暮れ方の一時間とを読書につかい、ベッドの上で読書をしたことは一度もない。」(28頁)
 「読み始めてすぐやめてはいけない。」(同頁)
 「だれにでも好きな著者があるということは言うまでもない。時おりそうした著者から、その人の主な考え方がもっともよくわかることがあるけれども、必ずしも好きな著者から自分の主な考え方を受け入れる必要はない。」(29頁)

※思わぬ人たちから、荒野の声から、よい考えをもらうことがある

 「これに反して、古典古代の著作は完全に読んでおくべきだろう。全部読み切れないほどその数が多いわけでもなし、大多数のものはだれにでも興味が持てる。つまり、こんにちの意味における専門書ではない。しかし、それら全部のものにほぼ同等の価値を認めることさえまちがいだろう。私の評価によると、最上のものはよい歴史書と最も美しい文学書である。すなわち、ヘロドトス、トゥキジデス、ブルタルコス、ポリビウス、リヴィウス、サルスト、タキトゥス、スエトン、デモストネスとキケロとの政治演説、ホメロス、ホラティウス、ヴィルギリウス。」(31頁)

※日本においては何がこれにあたるであろうか。日本は文学に偏している国民性か

 「ただし私の考えによれば、カントの『純粋理性批判』から読み始めるのがよい。」(同頁)
 「哲学的な基盤があってこそ歴史叙述は有益になる」(32頁)
 「(著者注記)現在有力な学派の歴史叙述には、なるほど過去の時代の事件を再現することはできるが、過去の時代の精神と知性を再現することはできないようなものが少くない。」(33頁)

※紀伝と列伝とのバランスか

 「普通の新聞や雑誌は、一種のレクリエーションとして余暇に読むべきものである。そのうえ選択して読むべきものである。」(34頁)

※ラジオの有用性はもっと強調されるべきである

 「いわゆる歴史小説も私の考えによれば、大多数は同じようにたいして価値がない。ただしこの種の作家でも有名なるべくして有名な二三の作家、たとえばスコット、キングズリ、アレクシス、ミュゲ、さらにフェーリックス・ダーンとグスタフ・スライタークのいくつかの作品は例外である。」(35頁)

※われわれにはいまやあまり馴染みのない異国の作者である

 「大家の原作を選び、門弟の書いたものを避けるようにしなければならない。」(37頁)

※図書館の本棚をみるとこのことが理解できる

 「反対陣営に属する著書の場合にこそ、私たちは基本書(スタンダードな著書)を読むべきである。」(同頁)
 「まず基本書を読め。たいていの場合、それから先はおのずから道が開けてくる。とりわけ、基本書のおぎないとしてもっと読むべき本は自然にわかってくる。」(39頁)
 「大切なのは学ぶことであって、どういうふうに学ぶかということはどうでもよいことである。それにしても、規則的にすることは全然意義のないことではない。」(同頁)
 「読書の主眼と読書のもたらす主なめぐみは、知識ではなく行為である。」(41頁)


 「実行、観察、試み、自分自身の人生経験、とりわけ一切の悪しき読み物を遠ざけることの方が、はるかに役立つ。」(44頁)
 「(著者注記)楽しみに読まないで教えを汲み取るために読むことである。そしていつでも、それらの著作のなかにあるわけのわからない点や単なる感情的な点を捨てて、ほんとうに本質的な点を含んでいる核心をつかむようにすることである。」(71頁)