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906号 易経について(3)

2014年01月14日(火)

 以下は前号につづき、易経について。

○変卦について

 「易経読本」河村真光(まさひこ)著(光村推古書院 平成20年初版)から、卦の変化の考えをみる(前述のところと重複する点あり)。

(変卦について)
○ もとの「
本卦(ほんか)」に対し、六本の各爻のうち、いずれか、あるいは全体が、陰から陽に陽から陰に変化するとき、その変わった卦を「(へん)()」あるいは「()()」という。「機」の動きをみるために用いられる。表面よりも内側に隠された微妙な動きをみる。ただし、あくまで「本卦」をよく吟味し、たずねることが鉄則である。変卦は煩雑をよぶこともあり補助手段である(52頁、86頁)。

(1)変爻(へんこう)。風天小畜(○○●○○())の初爻変、(○○●○○())「(そん)()(ふう)」に()

(2)()()。三・四・五爻を上爻(外爻)へ、二・三・四爻を下爻(内爻)へ変えるものである。(すい)(てん)(じゅ)(●○●○○○)→()(たく)(けい)(○●○●○○)

(3)(さく)()。爻の位置を変えずに、すべての陰陽を転換(反転)させるものである。(すい)(らい)(ちゅん)(●○●●●○)→()(ふう)(てい)(○●○○○●)

(4)(そう)()。六本の爻の上下を、百八十度逆転するものである。(すい)(ざん)(けん)(●○●○●●)→(らい)(すい)(かい)(●●○●○●)


占筮(せんぜい)について)

○ 易を立てる占筮(せんぜい)の方法には、筮竹によるもの等さまざまあるが、例えば三枚の硬貨(コイン)を用いる(てき)(せん)法は、比較的簡易である。この方法について十二世紀にはすでに記録がある(朱子語録)。
 三枚一組のコインの表裏をきめ、占いたい事を心に念じ、都合六回投げる。一回ごとに陰陽(四種類のいずれか)を書き記す。必ず下から上に積み上げる。
 ①三枚とも表(老陰●)②三枚とも裏(老陽○)③二枚が裏(少陰●)④二枚が表(少陽○)
(注、私見によって注意すべきは、老陰・老陽について、コインが三枚とも表・裏が出た場合に、常識的に陽および陰とせずに、これに反し、老陰および老陽と見るは、むしろ逆に、陽あるいは陰にこれから変わることを重く見ているからか。)

○ これで実際行い、たとえば「沢水困」(●○()()())が出たとする。すなわちこの場合に実際に生じたことは、①回目、三枚表※、②三枚裏※、③二枚裏、④三枚裏※、⑤二枚表、⑥二枚裏となったことになる。
 以下これによって、本卦、変卦(之卦)、互卦、綜卦、錯卦の解釈(占断と称している)をみることとする。

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 ここらの卦の中味を、前掲書「易経講話」に基づいて解釈し読むことにするが、「易経講話」においては、易経を(うらない)の書としては解していない。


○ (47)沢水困●○○●○●(第三巻、484頁)

「困は亨る。貞し大人は吉。咎なし。言う有れども信ぜられず。」

 沢の水が漏れてひからびている、君子が小人の掩われて困窮している状態をあらわしている。
 困難な卦として、他にも卦があるが、それぞれ原因が異なる。
 「水雷屯」は創業時の伸び悩み、「坎為水」はやり過ぎて陥穴、「水山蹇」は行先が蹇っている、そしてこの「沢水困」は昇り過ぎて力が窮まった状態である。
 ある場面の実際において、「屯」・「坎」・「蹇」・「困」のどれに当たるかの判別は容易ではないのだが、卦爻の言葉をよく読めば艱難の起こる原因が異なっているのであるから、必ずしも識別ができないわけではない。また、多少の判断を誤り、たとえば屯とみるべき場合を誤って困と見たとしても、共通したものが多いので大層は差支えない。
 困は押し切って進むべき力がなく、疲れて苦しんでいる卦。

 しかし、易経の文句においては、わるい方向よりもよい方向から卦をみることが多い。
 そこで次によい方向から見てみると、大人の九二(賢人)と九五(天子)の二つの陽爻が、剛強にして中庸なる道徳才能をもっているので、遂にこの難問を打開するのである。
 上卦は兌●○○、(よろこ)ぶであり、険阻困難なる境遇であるけれども、それがために落胆することもなく、和して説んでおり、貞。正しい道に叶って来れば事はうまく運んでゆく。
 「言あれども信ぜられず」であるが、人は困難に遭うと才能は増長し、道徳も修繕される。なお、来知德の註に「東坡、困に居り、尚ほ弁多し。文、人を欺くに足るのみ、豈に是れ君子ならんや」として東坡を槍玉にあげている。気の毒だけれどもその例かと解説する(注 今年(※2012年のこと)の大学センター試験の漢文に、蘇東坡が出ている。左遷を許されて都に登る際、刑吏を皮肉る場面である)。
 「困すれどもその(とおる)る所を失わざるは、それ唯だ君子か」。古人の例としては、周の文王が殷の紂王に囚われ羑里(いうり)の獄中にあって周易の彖の言葉を作られた例、孔子が陳蔡の野において糧食欠乏したとき、琴を弾き歌をうたっておられた例、顔淵が陋巷にあって道を楽しんでいた例、などはその代表である(来知德の註から)。
 困の卦の中のたとえば九四。「来ることは徐々なり、金車に困しむ。吝。(おわり)有り」、「(こころざし)、下に在るなり。位当らずといえども、與有るなり」。

 

○ ここで九四について、「沢水困 四爻変 坎為水に之く」と「変爻」する。変える爻は、老陰・老陽のうち最後に出た爻(上位の爻)を変爻するのがその方法である。

(29) (かん)()(すい)●○()●○●(巻二 553頁)

習坎(しゅうかん)(まこと)あり、(これ)れ心(とお)る。行きて(たっと)ばるるあり」

 大きい川が二つ、困難が二つ重なっている象(坎●○●が二つ重なる、「習坎」という)。
 同じ形の三画の爻が、重なっている卦としては、乾と坤の卦がある。その他に、六卦の重なって出てくるのは、この「習坎」の卦が始めてである。
○ ところで三画の卦で一本の陽爻が二本の陰爻の下にあるのは「震」●●○であり、動く意味であり、陽爻が動いて上に進もうとするのである。
 一本の陽爻が二本の陰爻の中にあるのはこの「(かん)」●○●であり、陥る意味であり、陽爻が陰爻の中に落ち込んだのである。
 一本の陽爻が二本の陰爻の上にあるのは「(ごん)」○●●であり、止まる意味であり、陽爻が上にできるだけ登って、そこに止っているのである。
 又一本の陰爻が二本の陽爻の下にあるのは「(そん)」○○●であり、入る意味であり、陰が陽の下にはいり込んだのである。
 一本の陰爻が二本の陽爻の中にあるのは「()」○●○であり、()く意味であり、陰が陽に付いているのである。
 一本の陰爻が二本の陰爻の上にあるのは「()」●○○であり、悦ぶ意味である。

○ さて、古人はこの「坎為水」の卦について、例として首陽山に餓死した伯夷叔斉などをあげる。
 「行きて尚ばるる有り」。とにかく進んでいくべきことを考える。程伝にも「行かざれば常に険中にあり」と曰っている。
 この「坎為水」の卦の言葉は、険難や艱難に取りまかれた場合に、誠の徳、剛の徳、中の徳、を処してゆく道として見ている。そうでない爻は善くない爻として見ている。

○ 要するに、卦の言葉が最も重要なのであり、趣意が分かれば、文字の意味が必ずしも明瞭でないものがあっても、それは小さい問題であり、大体をおさえるべきである。
 「(たん)」には、「王公、険を設け、もってその国を守る。険の時用大なるかな」。険阻を用いる道を説く。
 「(しょう)」には、「水(しきり)に至るは習坎なり。君子もって徳行を常にし、教事を(かさ)ぬ」。自分の徳行を養い、人民の教訓を丁寧に反復することをいう。

○ なお、易の卦の意味は、いろいろな方面から見られるのであり、又いろいろな方面から見るのがよろしい。又なるべくは、経文に書いてない意味を読み出すように務めるべきである。

 

○ ここで「沢水困」を「互卦」へ変卦する。「風火家人」となる。

(37)(ふう)()()(じん)○○●○●○(巻三 179頁)

 「家人は、女の(ただ)しきに利し」。一家の人々がすべて善く和合している形である。六十四卦の中で、ただ「水火既済(すいかきせい)」●○●○●○のみが陰陽すべて正しい位にいるのである。この家人(かじん)の卦は、それに次いで正しい位を得ている卦である。

○ 一爻だけが位の正しい卦は、「風火家人」のほかに、「水天需」、「水雷屯」、「水山蹇」、「沢火革」、「地火明夷」の五卦ある。
 その中でこの「風火家人」の卦が最も善い。上と下の二つの卦の性能によって、卦は善くなったり悪くなったりする。
 「風火家人」の卦は、六二の陰、六四の陰、九五の陽の位が正しいことを重くみている。

 この卦は、火(離)の上に風(巽)があり、内の卦が外の卦によって広がる。家(国内)から、国家(外国)に広がる。

経文は、小さいものを大きく見たり、大きいものを小さく見たりすべきなのである。

 初九「有家を(ふせ)ぐ。悔亡ふ」。この卦の六爻の言葉は陽爻を男、陰爻はみな女として、言葉が作られている。家を治める初めは、正しい規律を定めることであることを教える。隋の顔之推の「顔氏家訓」の中に「子を嬰孩(えいがい)に教え、婦を初めて来るに教う」と曰って、最初を重視している。

 

○ 次に、「沢水困」を「綜卦」へ変卦する。「水風井」となる。

(48)(すい)(ふう)(せい)●○●○○●(巻四 3頁)

 「(せい)は邑を改むれども井を改めず。(うしな)うなく得るなし。往来、井を井とす。(ほと)んど至らんとし、また、いまだ井につるべなわせず。その瓶をやぶるは、凶なり」。

 「困」の卦の次に、「井」の卦が置いてある。上に昇りすぎて困窮の境地に陥ったものは、必ず下の方へ引き返して来なくてはならない。古人は「卦の辞はただ井の上について説く。人事は言外にあり」と曰う。道徳才能のある人がうまく世に用いられることを希望する意味である。

 

最後に、「沢水困」を「錯卦」へ変卦する。

(22)(さん)()()○●●○●○(巻二 344頁)

 「()は亨る。(すこ)しく()(ところ)有るに(よろ)し」

賁は飾る。剛柔交錯して、下卦は陽が本体となって陰がそれを文飾し、上卦は陰が本体となって陽がそれを文飾する。下卦の方が比較的優れている(乾の卦の中に一本の陰爻が来て、質実なる陽爻を文飾している)。しかし文飾(文明、制度、文物、礼儀作法など)の効能には限度があり、大きい事件であれば、文飾だけでは事を運んでゆくわけにはいかない。
 「彖」に曰う。「天の文を観て、もって時変を察し、人の文を観てもって天下を化成す」。
 下卦は文明の卦であり、九三に至って文飾の頂上に達するが、上卦は止まる卦であり、だんだん文飾がなくなり、飾のない飾の至極になる。大体このように、この卦の六爻の言葉を読んでいく。
 六二・九三・六四の爻で「(かん)」●○●の卦が出来る。坎の卦は車であり、初九は車に集まることができない。九三・六四・六五の爻で「震」●●○の卦が出来る。震の卦は足であり、徒歩の象である。
 六五「丘園を(かざ)る。束帛戔戔(せんせん)たり。吝なれども終に吉」

 華美な時代にもかかわらず、六五の明君は田や畑や果物畑などを修め整えて、質実倹約を専ら務め、(けち)であるという非難をうけながら、人民は豊かになり、風俗も厚くなり、大いなる喜びがある。

 

(以上)

(2014.1.7 改記) 元稿は2012.1月か