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イッセイエッセイ

904号 易経について(1)

2014年01月14日(火)

○周易(上経)から

(易の起源と構成)

 「易経」というようになったのは、後世(多分、宋の時代)のことであり、もとは単に「易」また「周易」といっていた。周の時代に大成されたのは「周易」、これより以前に「連山易」(夏の時代)、「帰蔵易」(殷の時代)という二通りの易があったが、いつしか亡びてしまった。
 周易は上(けい)が三十卦、下経が三十四卦あり(後述の「乾」と「坤」の卦を加えて六十四卦となる)、一卦ごとに「(ことば)」すなわち文句が付いており、これが古くからある『経文(けいぶん)』である。
(えき)()を形づくる横画を(こう)といい、━を陽(本稿では便宜○)━━を陰(同●)とする。卦は陽爻と陰爻を六画に組合せて構成される、八つの形象(八()あるいは八())ができることになる。
 それを説明し、解釈し、あるいは総論を付け加えた注釈の類を、前の『経文(けいぶん)』に対して『(じゅう)(よく)』という。すなわち「彖伝(たん)」が上下、「(しょう)伝」が上下、「繋辞(けいじ)伝」が上下、「(せつ)卦伝(かでん)」、「文言伝(ぶんげんでん)」、「(じょ)卦伝(かでん)」、「(ざつ)卦伝(かでん)」があり、これを(じゅう)(よく)という。これが今の形の「周易」すなわち「易経」である。
 「易」の八卦を最初に作りだしたのは、神話時代の天子であり三皇の一人である伏羲(ふつき)とされている(「繋辞伝」による)。

 以下、易についての基本及び歴史を簡単に説明する。

(1)()の全体について説明した文句、例えば最初の「乾」は「乾は(おおい)(とお)(ただ)しきに(よろ)し。」とある。これは「()(ことば)」であり、「(たん)」といわれる。これらのものは周の文王の作と伝えられている。「彖」は断なりで断定する意味であり、一卦の性質を断定し、あるいは吉凶を判断する言葉である。

(2)各一(こう)ごとに()けられた文句、例えば「乾」の算木の六爻あるうちの一番下、第一爻目の陽爻は、「初九、(せん)(りゅう)(もち)いる(なか)れ」とある。これは「(こう)(ことば)」であり、『(しょう)』である。これらのものは文王の子、周公旦の作と伝えられている。

 以上の形式と内容からなる「(たん)」と「(しょう)」の六十四卦の「(ことば)」が、『経文(けいぶん)』である。
 そして、この周易の『経文(けいぶん)』を注釈したものが、『十翼(じゅうよく)』である。真実はともかく、孔子が作られたものとして伝えられている。孔子は韋編三たび絶つというほどに易を熟読され『十翼(じゅうよく)』を書かれた、と史記の世家伝にある。
 この『経文(けいぶん)』の注釈類については上に述べたように、「(たん)」すなわち「卦の辞」を説明したところの「彖伝」、「(しょう)」すなわち「爻の辞」を説明したところの「象伝」がある。さらに易の総論ともいうべき「繋辞伝」、それに「説卦伝」、「乾」の卦と「坤」の卦とを特別に委しく解釈した「文言伝」、易の六十四卦の順序を説明したところの「序卦伝」、六十四卦に就いて短い注釈を試みたところの「雑卦伝」の『十翼(じゅうよく)』からなる。

(易の伝承)
 周易の伝来、および後世における註釈の歴史は、概略以下のとおりである。
 孔子の教えを、七十二弟子の一人である()(ぼく)が魯の子庸に伝え、江東の子弓に伝え、燕の子家に伝え、東武の子乗に伝え、齊の子装に伝えた。
 秦の焚書坑儒の難にあわなかったのは、幸い易だけは占いの書であるとみられ、難を免れて完全に漢代に伝わった。
 漢代の易学、すなわち漢易の著述は残っているものもあるが、大部分はなくなってしまった。それは、後世の易学とは大層違っていた。
 三世紀、三国時代の魏の(おう)(ひつ)は老子註などを著わした大学者であるが、漢儒の易註を排撃して、義理を主にして易を解釈する「周易註」を撰した。その結果、漢易は南北朝時代(四世紀~五世紀)になると大抵ほろびてしまった。そして、後漢(二世紀)の訓詁学の大家である(じょう)(げん)の易註と王弼の註とだけが、教科書として用いられた。
 七世紀の唐の太宗の時代に、訓詁学の()(よう)(だつ)は勅により「周易正義」を撰した。王弼の註と晋の韓康伯の註を用いて、註の一層詳細なもの即ち疏を付け加えた。唐代の学校ではこれが用いられることになり、宋代までこの「周易正義」が行われた。そのため鄭玄の註の方は廃れてしまった。なおこの唐の時代に、季鼎祚(りていそ)という学者が、古人の説がまるでなくなってしまうのを憂い、「周易集解」を編集し、子夏以来の三十五人の説を集めた。これが幸い今日まで伝わり、古い易説の大体がわかるのである。
 宋の時代になると、周茂叔(しゅうもしゅく)は易の大極の研究を行い、その弟子で大儒二兄弟である程顥(ていこう)(明道先生)と程頣(ていい)(伊川先生)があらわれた。伊川先生の「易伝」は、人倫道徳の立場から漢代の易説にはないような新生面を開いた優れた著作といわれる。
 この程子の「易伝」が出て数十年後、南宋の時代になり、朱子が「易経本義」十二巻と「易学啓蒙」を著わしたが、易学を主として(うらな)い書として解釈していた。そのため、朱子の学問は存命中は偽学とみなされて少なからざる圧迫を受けていたが、宋末・元・明の時代には全盛となる。
 明の成祖の永楽年間に、胡廣(ここう)等が詔を奉じて「易経大全」を撰したときは、程伝と朱子の本義を主にして、それに朱子学系統の学者の説を付け加えた。明の朱子学が全盛となる時代には、来知德(らいちとく)の「周易集註」、何楷(かかい)の「古周易訂詁」などが出た。これらはいずれも良い参考書であり、明儒としての独特の見解が見られる。
 清朝の初期も朱子学がまだ盛んであった。康熙年間に「周易折中」二十二巻、乾隆年間に「周易述義」十巻が著わされ、これらには朱子学系統と古い易説の影響も少なからずあり、良い参考書となっている。
 (以上は、公田連太郎述「易経講話」第一巻の序説を簡単にまとめて記述した。)

 以下も同講話からの著者の言い方による要約である。
(易の総論)

○ 易の本文そのものは文字が極めて少ない。しかし、これに説明が尽きるのではなく、見本のようなものであり、あらゆる事に当てて類推すべきである(この講話も、便宜上その中の一つの方向から観た解釈にすぎないこと、を承知してほしい)。

○ (しん)(かん)(ごん)は「(けん)」の卦の系統(四種)に属し、(そん)()()は「(こん)」の卦の系統(四種)に属す。同じことからこれら八種の互いの組合せによる六十四卦のうち、三十二卦は陽の系統の卦であり「(けん)」の卦に属し、他の三十二卦は陰の系統の卦であり「(こん)」の卦に属す。

※ 全くの別書である「易経読本」入門と実践(河村真光著 光村推古書院 平成20年初版)によれば、「易には見慣れない術語が頻繁に出てくるので、それに閉口する人がいるが、この基本的な、乾兌離震巽坎艮坤、けん・だ・り・しん・そん・かん・ごん・こん、をまじないのように暗記し、その意味さえ把握してしまえば、後は意外と容易に応用がきくものである」と解説している(若干修正して引用)。

○ 易の六十四卦の「気分」がわかれば、文句は実は如何でもよいのであって、書物は読まずともよいのである。少々まちがって読んでいても善いのである。逆に気分が分からなければ、文字を正確に読んでも何にもならない。

○ 「太極」を中心として、乾の卦をふくめ他の六十四卦が周囲にずらりと並ぶ。佛教の言葉を借りれば、一つの大きな曼陀羅を作っている。「太極」は六十四卦の外にあるのではなく、六十四卦がすなわち「太極」なのである。

○ 六十四卦は互いに切り離すことができないものであり、始終連結しているものであることを、常に念頭におくべきである。

○ 「乾」の卦と「坤」の卦が、六十四卦の変化の根本であり、最も大きい卦であり、特別の卦である。他の卦と違って特に「文言伝」が付けられている。また易の総論的な「繋辞伝」のかなりの部分が乾坤二つの卦の説明にさかれている。

(「乾」を例にした詳説)
 表示の便宜上、卦は上下であるものを左右にして、さらに陽と陰を白黒の円で表示した。

(けん)為天(いてん)○○○○○○

○ 「乾」は、純粋に陽なもの、剛強であり、積極であり、プラスであり、充実しており、活動しており、決して疲れることのないものである。それは、宇宙間にあまねく行きわたっている「大元気」のことである。儒者の言葉でいうと「天」である。
 「乾」について、これを大いに譲歩して人間世界にあてはめると、天下の君主、積極性の聖人になる。おおざっぱに言えばこれに当たるのは、すなわち尭・舜、周の文王、周公、孔子などであり、陽性の聖人、「乾」の卦の聖人である。一方、老子は陰性の聖人すなわち「坤」の卦の聖人と見る。
 そのほか、もっと小さいものでも、ある部分だけを抽象的に引き離して考えて、「乾」の卦に配当することもできる。たとえば一家の主人、父親、男性など。

○ 卦ではすべてに適用できるようにするため、いろいろな事に応用自在となるよう、一種異様なるたとえを用いて作られている。文字に拘泥していては理解が得られないので、その
限りで読むべきである。例えば「乾」の卦では、龍を借りて理を説く。龍をシンボル・(しょう)にして説く。

○ 「乾」の卦についての「(たん)」の辞、すなわち「元亨(げんこう)()(てい)」には読み方が二通りある。
 乾は(おおい)(とお)る、(ただ)しきに(よろ)し(周の時代の古い読み方である)、あるいは、乾は(はじ)まり(とお)(よろ)しく(ただ)し(彖伝・文言伝、すなわち孔子の読み方である)。
 前者の読みは、「乾」の卦の気を一切の万物を生むところの根本とし、伸び伸びと物事が大いに発展し、為すところが正しい道に叶い、かつ固く守っていく、よく終わりを全うする、という意味となる。
 後者の読みは、元・亨・利・貞を乾の卦の四つの徳(性能)とみる。芽を出す、十分に伸びる、花が咲く、実がなり十分に固まる。そしてこのくりかえしの循環をあらわす。また一年にあてれば、春、夏、秋、冬の循環でもある。また人間の道徳の仁、礼、義、知に配当できる。
 いずれにしても「元亨利貞」は重要な文字であり、周易の全体とかけ合うほどの四字である。

○ 易の爻は下から数え、漸次上にのぼってゆく。六画の爻を天地人の位に分けて見ることがある(なお、三画だけで見ることもある)。陽爻を(きゅう)、陰爻を(りく)と便宜に読む(理由は定かではないが、陽の位の一、三、五を合わせて九、陰の位の二、四を合わせて六、という来知徳の説が穏当か)。

○ 一爻ごとの辞は、卦に対する「彖」に比して大分小さいのであって「(しょう)」といい、周公が書かれたと伝えられている。
 「乾」の卦の初爻すなわち最も下の爻である初九は、「潜龍、用いる勿れ」とある。深い淵に潜む龍、陽気がまだ弱いのであって、ひたすら勉強し修繕すべきである。外に出かけて政治活動や社会運動などをすべきでない。
 九二は「見龍、田にあり、大人を見るに利し」。学問ができあがり、陽にして剛、下の卦の中央である、中の徳を備える大人物であり、世の中の人は会って指導を仰ぐのが宜しい、というのである。
 九三は「君子終日乾々、夕に惕若たり、(あやう)けれども咎なし」。龍のかわりに、人の中の龍である君子という字が用いられている。一日中勉め怠ることなく、夕方となっても深く恐れ憂いて戒める。下卦における上の爻であり、中庸を過ぎ高い処にのぼっているので危うく、油断するとやりそこなうのである。龍とすれば、地上を離れて高く空中に飛び上ろうとする過渡のところである。聖人とすれば、祭り上げられようとする油断のならぬ位地である。
 九四(四爻目の陽爻)は「あるいは躍り、淵に在り、咎なし」。時としては高く飛び上り事を行うことはあっても、終われば身を引き下げて、譲遜謹慎するときは、過失がないのである。
 九五、「飛龍天に在り。大人を見るに利し。」条件がいろいろ具わって、雲に乗り高く天上に飛びあがっているのである。上の卦における中央にあり、中の優を得ている。天子の位であり、皆これを仰いで帰服尊敬するが宜しいというのである。九五の爻は、この卦の主爻といわれるものである。
 上九、「(こう)(りゅう)(くい)あり」。あまり高くのぼりすぎたる龍、あまりに傲慢であると、雲を失い自由な働きができず、才能ある臣下は遁れ去り、補佐するものがいなくなる。かならず後悔することがでてくる。天道には悔はないはずであるが、これは人間に教えを垂れるためのものである。

○ 「用九」すなわち六十四卦の中のすべての九(陽爻)を用いる仕方を、特別にこの「乾」の卦のところで説いている。
 すなわち「群龍を見るに(かしら)なし、吉」。龍の頭が外にあらわれず、雲の中に隠れているようにするのが、すべての陽爻を用いる道なのである。

○ 乾坤往来という考え方あり。「乾」の卦と「坤」の卦との、位を得ていない爻が互いに往来するのである。一陰一陽、一剛一弱、「乾」(○○○○○○)と「坤」の陰陽の爻が入れ替わると、「水火既済(すいかきせい)」というの卦(●○●○●○)ができる。群がりたる陽の竜の頭を陰の雲がおおっている形である。このように陽爻が明るいときは吉である。

○ 「(たん)に曰く」とは、「彖伝(たんでん)に曰く」というべきところの伝の字を省略したのである。卦の吉凶禍福を断定した「彖」(周王の作ったもの)、すなわち「乾」の卦の場合であれば「乾元亨利貞」の五字について解釈したものが、この「彖伝」(孔子の作ったもの)である。
 この「彖伝」や後述の「象伝」は、はじめは経文と別綴じであったものが、たぶん漢の時代あたりに読むのに都合のよいように、経文の相当するそれぞれの場所に一緒に置かれるようになった。

○ 易の本来の大きい立場から言えば、吉凶禍福も本来ないのだが、周易の中には、時として第一義から説いているところがあり、第二義に下って説いているところもあり、時としては第三義に下って言葉を()けているというべきところもあり、これらを混乱して読むと矛盾が出てくる。「大なるかな乾元、万物()りて始る」。

 

○ 「(しょう)に曰く」とあるのは、実は「象伝に曰く」とあるべきところを、伝の字を省略したのである。「象」というのは、前述のとおり爻の(ことば)であり、周公が作られたものと伝えられている。「象」すなわち爻の辞を解釈したものが「象伝」であり、これは孔子が作られたものと伝えられている。
 「象」というのは、物または事にかたどるという義であり、たとえば「乾」の卦について、龍という神変不可思議な動物にかたどり、これにたとえて、「乾」の卦の一爻々々の意味を説かれたので「象」という。これを注釈したのが「象伝」である。
 なお、一爻々々の「象」の説明の前に、卦全体についての象を説明しており、これを「大象」という。一爻々々の説明を「小象」という。

○ 大象。「天行は健なり。君子以て自ら(つと)めて(やす)まず。」
 君子は、天の運行することの健なること見て、これを身に体して、自ら為むべきことを勉め勉めて、休息することは無いのである。

○ 小象。

 初九「…陽、下に在ればなり」。陽気がまだ外にあらわれるほど盛んでないからである。これはちょうど「地雷復(ちらいふく)」の卦(●●●●●○)にあたる。
 九二「…徳の(ほどこ)(あまね)きなり」。道徳の恩沢が天下に行きわたっているからである。
 九三「…道に反復するなり」。正しい道を繰り返しくり返し勉め励んで行うからである。
 九四「…進みて咎なきなり」。戒め慎んで、有頂天にならないので、進んで躍り上がることがあっても咎がないのである。
 九五「…大人に(おこ)るなり」。大徳のある大人にいたったのであるからである。
 上九「()つることは久しかる可からざるなり」。盛んに満足している境遇は、久しく続くことはできないからである。
 用九「天徳は(かしら)たる可からざるなり」。人の道徳才能をもって、自分のそれとする方が、一層偉大で尊敬すべきことであるからである。

 

○ 以下は、「文言伝」である。

 彖の辞・彖伝、象の辞・象伝、これだけでは十分理解し難いと考え、「文言伝」においてさらにだんだん進んで、深くつっこんだ奥義が説明されている。とくに「乾」の「文言」は、「坤」の「文言」と比べても一層詳しい。
 「彖伝」では「元亨(げんこう)()(てい)」を、主として天道について、「文言伝」では主として人道について、説かれている。

○ そもそも易は、算木もなく卦もない易が最も大きく、算木があり卦ができると少し小さくなり、文王が言葉を繋(係)け、周公が言葉を係けられるとまた少し小さくなる。孔子が詳しく説明されると更にまた少し小さくなる。言葉を加えれば加えるほど小さくなる原則である(そして本書の説明で、いよいよ小さくなる)。天道をもって説明すると大きく、人道をもって説明すれば小さくなるけれども人生には切実になる。
(注)ギリシア悲劇に出てくる登場人物を、易の卦や各爻に当てて運命を解説している書物も出版されており、一読したことがある。

○ そこで、易を学ぶ心得は、

 (1)先ず人間世界の切実なる人道の方向から入り、(2)進んで天道を観る、(3)なお進んで、算木ばかりの易を味い、(4)さらに進んで、算木も無かった以前の易(卦にあらわれない易、天地開闢以前の易)を観る。そこまで行けば易の研究は大体完了する。

○ 「文言伝」の中味について

 「元は善の長なり、亨は嘉の会なり、利は義の和なり、貞は事の幹なり」。
 元は物を養い育てる仁の徳であり、あらゆる善の始めである。亨は十分に伸びて盛んになる礼の徳であり、あらゆる善き美しき者が一緒に集まるのである。利は万物がひきしまって宜しとする所をえる義の調和したものである。貞は万物が成就し、内容が充実し、正しく堅固になっており智の徳である。
 「君子はこの四徳を行う者なり。故に曰く乾は元亨利貞と」君子は元亨利貞、仁義礼智の徳を体得する。

○ 「文言伝」では以下、乾の六爻についての「問答体」による説明がある。そして更に観点を変えながら各爻についての韻文による説明が数章つづくのである。

 以下はその一部

○ 「幾」(九三の「文言」の中にあり)の字は、易の中にしばしば出てくる字である。幾徴であり物事の起こるところの微妙なるきざしである。善く知っておくべきである。易を学んで物事の変化の理を知ろうとするのは、この幾すなわち物事の変化の始めのきざし(※徴候の前のようなものかと拙考)を見定めようとするため、といってよい。
 九三は官吏でいえば、課長・局長のような者であり、自分より低い位の者も少なからずあり、自分より高い位の者も少なからずある。九三の君子は勤勉努力の君子である。威張ることもなく、いたずらに憂い悶えることもない。
 九四の「進退恒なきは、群を離るるには非ざるなり」は、仲間を離れ、世の中を忘れ勝手な行動をするのではないのである。
 九五、「各々その類に従うなり」。

(以上、乾の卦についての「文言伝」から一部の解説)

 

(坤を例にした略説)

(こん)為地(いち)●●●●●●

○ 地の元気と見えるもの、力らしく見えるものは、すべて天の元気であり、力であると見る。「乾」の自力に対し、「坤」は純粋の他力である。周公や孔子は純粋の陽性ではないが、大部分は陽性の「乾」の卦の系統の聖人であり、老人は陰性、坤の卦の型の聖人である。
 「坤は(おおい)(とお)る、牝馬(ひんば)(ただ)しきに(よろ)し」。柔順にして正しく固いのである。何も無いために、他の善いものを受け入れ、体得していく。老子の処世法も「先んずれば迷い、後るれば主を得る」。

○ 八卦と方角の考え方は、「説卦伝」による先天図(伏羲(ふつき))、後天図(文王)があるが、ここでは後者によって述べる。
 「東北に朋を喪うに利あり」。西南の私と東北の公との公私を混同してはならないのである。

 

○ 「坤」の「彖伝」について。

 「至れるかな坤元、万物()りて生ず」。「坤」は「乾」よりも緩やか、「乾」よりも少し劣っている、偉大ではないが、天の徳に対し柔順で受けれることによって形を生じている。

 

・ 以下は「彖伝」(字句の一部を、便宜拙記するのみ)

 「地勢は坤なり。君子以て徳を厚くし物を載す」
 初六「霜を履みて堅氷至る」陰の弱なるときに、初において油断しない、積善。
 六二「直方大なり。習はずして(よろ)しからざるなし」主爻、習わずして(よろ)しからざるなし。
 六三「章を含めて貞にすべし」時をもって発するなり
 六四「嚢を(くく)る。咎もなく(ほまれ)もなし」慎みて害あらざるなり。
 六五「黄裳、元吉なり」文、(ちゅう)にあるなり。
 上六「龍、()に戦う。その血玄黄なり」その道窮まるなり。陰が盛んになって、龍かと見られるようになったのである。陰、陽に疑わしければ必ず戦う。
 用六「永貞に(よろ)し」永久に貞(正しく堅固(けんご)なる徳)を守るのがよろしい。

 

(水雷屯を例にした解説)

 次に「易経講話」の中から、他の卦の代表として、乾・坤の卦の次、「水雷屯」の卦を見る。

(3)水雷屯(すいらいちゅん)●○●●●○(第一巻 325頁)

 行き悩んでいるところの屯難。(しん)(かん)上である。震の卦が首尾よく上ってしまえば(注 上下の逆転が解消すればの意か)雷水解(らいすいかい)●●○●○●」になる。しかし屯難がなければ、物事の創業はない。
 「住く(ところ)有るに用いるなかれ」、「侯を建するに(よろ)し」。じっとして正しい道を守り、才能のあるものを立てるがよろしい。
 「彖伝」、「屯は、剛柔初めて交わりて難生ず」
 大象伝。「雲雷は屯なり。君子をもって経綸す」。まず政治の大網を定め、次に細目に及ぶ。
 初九は、この爻の主爻である。正しい道を守って妄動しない。来知德の註に、唐の安史の乱を平定した元勲である郭子儀がこれである、とする。
 六二は、中にして正しい陰爻。才能乏しく弱いけれども、道に背いた事はしない。はじめ初九に牽制されるが、屯難が離れるにあたって、はじめて九五の爻に従うのである。目的ではなく大目的を成就すべし。
 六三は、行きすぎており、軽挙妄動するのである。上下において孤立無援である。「君子は()す。()むにしかず、()けば(りん)」。易に吉凶をあらわす言葉がある。「吉凶悔吝」、それぞれ幸、禍、半吉、半凶をあらわす。なお、易では悔は(りん)よりは吉なのである。
 六四は、乗馬班如、出馬するがひき返すのである。初九と力を合わせて天下のために尽す。この六四の媒介によって、初九の豪傑と九五の天子が連絡できる。
 九五は「大は貞にして凶」思い切って破格の事を行って、更始一新の道を講じなければならないのである。
 上六も乗馬班如、「泣血漣如(れんじょ)たり、何ぞ長かるべけんや」悲歎にくれるばかりでなく、初九の力量と、六四の推薦と九五の破格の信任により屯難を打開するのである。