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イッセイエッセイ

903号 ローマ史論 第一巻(三十一章~四十章)

2014年01月09日(木)

 ローマの士大將は過ちを犯しても常軌を逸した刑罰をうけなかつた。さらに又その戰略が誤つてゐたため國に損害を及ぼした場合にも決して處罰されたことはなかつた(第三十一章)。

 軍勢を指図し、作戦を実行する将軍は何事にも囚われず、思い切った難しい危い戦争を遂行しなければならないので、ローマ人はあとの心配をかけさせないように考えた。カンナエでの敗戦におけるウアルロ統領の例など。敗将の恥がすでに手ひどい刑罰だったからであり、ローマは非常時の将軍に対しては情誼と尊敬をもっていたのである。

 特に君主の場合、それが誰であらうとも危機が迫つたときになれば、その期に臨んで恩惠を施しさへすれば人氣を呼び戻せると考へるのだが、かういうひとたちこそ大變な思ひちがひをしてゐるのである。人民の支持を受けるどころではない、たゞ破滅を早めるにすぎない(第三十二章)。

 君主や共和国などが人民に減税等の恩恵を施す場合に、危機が身近に迫ってからでは遅いのであって、平常から人心の収攬に努めていなければ効果はない。現代で言えば国政選挙の迎合の公約がそれか。

 新しい制度には、いつでも何かしら幻影がつきまとつてゐて、その弊害が人目につかないので、二葉のうちに禍根をみつけるのは中々むづかしい。だから禍が大きくなつてはつきり(・・・・)見えるやうになるまで、根氣よく見張つてゐる方が、遮二無二それをなくなしてしまおうと焦るより遥かに優つてゐる。時間といふものに手傳はせれば、かういう弊害はひとりでに消えてなくなるか、さもなくば少くともその襲來を遅らすことはできる(第三十三章)。

 前六世紀のローマに対する諸都市同盟、カエサルの独裁化、メディチ家の君主化をまねいた例は、過激急進の歴史的に悪い対処例。

 獨裁官の權力はローマ共和國にとつて利益にこそなれ、たゞの一度も害を與えたことはない。社會生活を脅かすのは市民が腕づくで奪つた權力であつて、断じて自由投票によつて得たそれ(・・)ではない(第三十四章)。

 「何によらず法律に據つてなされることなら、決して國を危くすることはない」。国難にぶつかったとき、法令により手続や期間をきめて即座に選んだ獨裁官職(前501年に創設)は、ローマをよく守ったとマキアヴエルリは言う(33章参照)。

 何れにせよローマ人の十人會に對するやうに、深い考へもなく權力を與へる場合には彼らと同じ破目に陥らなければならない(第三十五章)。

 平民の要求によって立法された十人委員会(紀元前五世紀の中頃に創設)は、任期や権限の定め方が周到でなかったので、権力の乱用、監視の不能によって十人会の横暴は目にあまった。

 ローマ人は名譽欲に囚はれてはゐたが、しかし、昨日まで自分の配下だつたものに今日は下知を受けても、今日のひとたちのやうに恥辱だとは思はなかつたし、今まで大將として臨んでゐた軍勢の中に交つて働くことを何とも思つてゐなかった。今日の制度や風習とはまるでうらはら(・・・・)の仕來たりだつた(第三十六章)。

 抜擢された新人に共和国への奉公は期待できるのだが、要職にあった人たちの処遇をうまくやらなければ、今日では昔のような成果をあげられなくなったとマキアヴエルリは言う。

 ものを握る力より望む欲求の方がいつもずつと大きいので、結局、自分のもつてゐるものにも心ひそかに娯しまず、そのうへ我と我が身に愛想をつかす氣分が力を添へる(第三十七章)。

 この章の趣旨はやや不明だが、世界史の教科書に1頁ほど費やして書かれているローマの共和制から寡頭制、王制への変化、つまり「農地法」をめぐる平民と貴族の全土をあげての争いについての弊を描いている。土地の所有をめぐるような大問題は、時間をかけてゆっくり改革を進めるべきということか。

 無力な共和國のすべてがもつ惡弊は優柔不断といふことである。總じてどんな對策でもすべて何かしら壓迫をうけないと立てられないのだから、何か適切な振舞に及んだとしても、それは窮余の方策で、決してその國のひとたちの賢明さのおかげではない(第三十八章)。

 「最も害の少ない方法」を「さっさとやってのける気持」を持てない共和国は、敵方からの有利な申入れに応えられずに反って実力行使をされ、面目を潰すことになったフィレンツェの例などを、マキアヴエルリは体験的に記す。

 近頃の出來ごとや過ぎさつた日の事件を調べると、誰しもすぐに同じ欲求や同じ欲情が、ありとあらゆる政所、あらゆる人民を支配してゐたし、また現に支配してゐることに氣がつく(第三十九章)。

 フィレンツェが領土回復に失敗したことをこの都市の「十人衆」のせいにし、ローマの戦さ続きは統領職が原因だとして、これらの職をなくしたが結局また復活するに至った例をマキアヴエルリは引いている。(マキアヴエルリの一種の運命史観であり、歴史に学ぶ有用性を主張したことになる)

 自由にとつて危險な役人衆は自ら權力を纂奪した連中であつて、人民が權力を與へたそれではないと主張したのではあるが、後者にしても新しい役目を設ける場合には、今までの役目のなかで腐敗の惧れのあるものに代へて之を設けなければならない。だから十人會についても之を絶えず積極的に監視してゐて、これが權限を越えないやうにしなければならなかつたはずなのに、ローマ人は一向この見張りをしなかつた(第四十章)。

 平民、貴族が自己の利害に目がくらんで改革がなされるままに放置、黙認することは、大衆を味方につけてしまう僭主を生みやすく、手遅れになれば国そのものを亡ぼしかねない。(前五世紀半ばローマのアッピウスの専横の例)

(2014.1.7 記)