西川一誠後援会サイト

イッセイエッセイ詳細

イッセイエッセイ

902号 ローマ史論 第一巻(二十一章~三十章)

2013年12月25日(水)

○ひとはゐるのに人數立てができないといふのは、ひとり君主だけの過ちで、土地柄や人氣によるものではない(第二十一章)。

 同時代の英チューダ王朝二代目のヘンリ8世の強兵策を、マキアヴエルリは模範例として挙げている。同王は宗教面でも議会立法を通じて教会を国王の下においた。

○ここで注意しなければならないことは、一つは、軍勢の一部分だけで決して國運を天に任せたりしてはならぬこと。二つは、秩序の整つた國では忠義の行ひがあつたとて決して犯罪を宥したりしてはならぬこと。三つは、約定どおりにするかどうか疑わしいか或ひは之を疑うのが當然である場合は常に、取極めをするのは賢明でないと考えねばならぬこと(第二十二章)。

 紀元前7世紀、ローマ軍とアルバ軍が、三人の戦士同士の勝敗で国の運命をまかせた軽率を批判している。エル・シッドの物語にもこれに類した場面あり。

○禍は敵勢の進撃を阻止しようとして、難所を固め隘路を扼しようといふときにきまつて生じる(第二十三章)。

 軍勢の一部だけで局所を防衛することは困難であり敗因となる。ハンニバルに対するスキピオ、セムプロニウス、フラミニウスなどの失敗例。テルモピレー峠でのレオニダス(スパルタ王)の死もこれか。

○ほんの一寸とした物でも、それが極く立派な行爲に賞でての褒美なら、これを受けるものにとつては此の上もなく尊いものに思はれる(第二十四章)。

 同一人物の功績を表彰しても、犯罪があれば別のこととして大目に見ないのが正しい、とマキアヴエルリは言う。そして顕彰は、立派なものでなくとも必ず行う必要がある。

○新しい制度には出來るだけ舊來の姿を装わすやうにしなければならないし、また、役人衆の人數も、權限や任期も、昔とはまるで違つたものになつたにしても、せめて古來の役名だけでも無くさないやうにしなければならない(第二十五章)。

 「自由な国において」は、新しい改革が喜ばれるには、人民に変化を感じさせないよう、旧来の俤だけでも必ず残しておかなければならない。人間は多くの場合、ただ皮相の外形を見ただけで満足するものなのだから。

○或る都市または國で支配權を手に入れたものは、殊にその權力の基礎が弱いときとか、君主制または共和制の原則によらず政治を樹立したいと思ふときとかには、その政始めのときから國のあらゆる制度を残らず新しくして、自分の支配權を確立するのが、何よりも一番たしかな方法である(第二十六章)。

 一方、絶対権力を得ることだけが目的(僭主政治)であれば、野蛮であっても根こそぎに一新すべきである。しかし、人間は善人にも悪人にもなり切れないので、中間をとろうとして失敗する。

○人間は罪を犯して平氣でゐることも、さりとて完全な善人にも、どちらにも成り切れるものではないといふことが言える。また、威儀をとゝのえたり慈悲の衣をかぶつたりして兇惡の振舞に及んでも、徹底的に惡の世界に生きる勇氣はない(第二十七章)。

○人民は自由を一度も奪はれたこともない場合よりも、一度失つた自由を奪ひかへしたときの方が復讐心に燃え上る(第二十八章)。

 仲間の市民の野心をどれ程に恐れる動機が存在するかによって、市民同士の迫害の強さが影響する。ローマはアテネよりも同胞市民への追放度が弱かった。

○君主といふものは、かうして生れつき恩知らずにできてゐる(第二十九章)。

 「忘恩という悪徳は貧慾または猜疑心から生じる」(性悪説)。人民と君主と比べ君主のほうがさらに猜疑心が強く、功労者の成功を妬んで迫害に出る。「恩返しは物入りだが、仇討は得をするから」(タキトゥス)。

○無精を極めこんだり意氣地がなかつたりして、王宮に閉ぢ籠つて淫逸の日を送り、臣下のひとりに代理をさせて平氣でゐるひとには、私としてはたゞひとつの忠告、自分の本能の動くがまゝになさるがよからうと申すほかに何も言へない(第三十章)。

 忘恩行為を避ける方法として、君主ならば自らが統帥権を発揮して陣頭に立つこと、大将の身であれば勝戦したらすぐに軍勢から遠ざかること、共和国であれば特定の一人に下知をまかせない(ローマはその鑑)こと、とマキアヴエルリは言う。「鄧小平」(ボーゲル著)はこの教訓の参考となる。

(2013.12.24 記)