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イッセイエッセイ

888号 ローマ史論 第一巻(一章~十章)

2013年11月28日(木)

 「ローマ史論」マキアヴェルリ著(大岩誠 訳)から感ずるところなどを抜粋し、感想を付す。この岩波文庫は以前から手元にあるものだが、元の文章なのか訳文のせいなのか、すこぶる読みづらいところがある。

 ひとつの都が存續するためには自由人の力によらねばならぬ(第一章)。

 西欧起源の思想の基本である。


 民衆政治もはじめは堂々と行はれるが、それも永くもたゝぬうち殊にその政治を打ちたてた世代のひとたちが姿を消すやうになるまでのことである(第二章)。

 人間は必要に迫られてこそ善を行ふ。・・・ひとは、饑餓・貧困に迫られなければ人間の勤勞心は目覺めず、法律がなければ人間は善人にならぬといはざるを得なくなる(第三章)。

 中国の法家の思想に似ている面がある。


 立派な模範的行爲は正しい敎育から生れ、正しい敎育は善い法令から、善い法令は大多數のひとが考へなしに責め立てる此の無秩序状態から生れた(第四章)。

 爭亂を起すのは、殆んど常に、物をもつてゐる連中に限られてゐる(第五章)。


 この世の出來ごとを、よく注意して調べて見れば、缺陷をひとつ埋めると、必ずもう一つの缺陷ができて來るにきまつてゐると思はざるを得ない(第六章)。

 一種の保守主義の思想である。


 或る一國でその自由の守護者に與へる權能のうち、何が一番有效であり必要でもあるかといへば、人民にむかつて、或ひは役人または或る裁判所に對して、この自由を干犯する大罪を犯した市民を告訴する權力に越すものは何ひとつありはしない(第七章)。

 フィレンツェで起ったような、外国人の力を借りて争動を起す非常手段が防止できる。


 讒訴(証人も証拠もいらない)を絶滅するのに一番適當な方法といへば、外でもない、告訴のできる手だてを十分に與へて置いてやることである(第八章)。

 ひとを訴えるには公然と告訴すべきである。道理があれば表彰され、根も葉もなければ処罰される。


 共和國を建設するには、一人のひとが事に當らなければならない(第九章)。

 ロームルス、モーセ、リュクルゴズ、ソローン、クレオメネースなどを例にひくが、近代史に当てはまるかどうか。


 相續權によつて帝位に即いた皇帝たちは、ティッスを例外として他はすべて惡黨ぞろひなのに、反對に養子になつて帝位に即いたものは、ネルワからマルクス・アウレーリウスまで次々に五代の皇帝を見ても分るやうに、すべてが善人だからである(第十章)。

 マキアヴェルリは共和主義、ないし反暴君思想をもつ。

(2013.11.23 記)