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イッセイエッセイ

876号 復讐するは何にあり

2013年10月10日(木)

 先月に放映された半沢直樹のドラマは、高い視聴率を挙げたということだ。倍に返すという話だから、復讐劇の一類型か必殺仕事人のドラマということか。
 森鷗外の歴史小説に「護持院原の敵討ち」(大正2年)というのがある。1833(天保4)年ごろ、ささいな事件から身分の低い小者に父親を害された家族が、苦労の末に敵討ちをなし遂げる話である。一時期どうしても敵相手を見つけることができず、小説では弟の方が精神に変調をきたし、同志の叔父と別れて行方知れずになる。しかし最後は、叔父と新たに加わった姉の手で敵討ちをなし遂げる。
 「落語・講談に見る『親孝行』~敵討ちと孝行」(勝又基・明星大学准教授 ラジオ第2放送)によると、この鷗外の小説には原資料となる「山本復讐記」(音声から表記したもの)という文書があって、それによれば弟が出奔するのではなく別動の方法で敵を捜そうとしたというのが実話らしい。小説上、鷗外はこれと異なった工夫を加えた訳であり、また敵討ちそのものも遺族が義務にかられて実行するように描いているが、実際の記録ではみずから進んで行った話しのようだ。
 江戸時代のやや初期に出た「本朝孝子伝」(1685年)には、多くの親孝行の実例が挙げられており、また「日本武士鑑」(1696年)では親孝行と敵討ちは、曽我兄弟にみられるように両者は同類のものとして扱われているという解説である。
 こうした古いモラルに立った敵討ち物を、鷗外がわざわざ発掘して小説化しながら、西欧的な新しい明治の倫理観に立って批判めいた脚色をしているのは、鷗外の中にある江戸に対する好みと新世相に立った精神との矛盾なのか、それともみずからの尚古主義に当時的な近代の批評を混じえただけのことなのか。
 時代小説の世界では、「鷗外のどく(・・)、周五郎のどく(・・)」という文芸関係者に通用している言葉があるとのことである(NHKラジオアーカイブス「池波正太郎」 大村彦次郎氏の解説)。時代小説を作家が書こうとする場合に、どちらかのタイプにはまってしまうことを言うらしい。
 鷗外作の時代物「じいさんばあさん」、「安井夫人」、「阿部一族」、「栗山大膳」、「佐橋甚五郎」など、ささいな発端から物語が展開し、主人公たちの不可解さが混った行動の顛末を読むとき、そっけない小説の題名の裏に江戸人と明治人の複雑な混合体が、いずれの中にも隠されているような気がする。

(2013.10.5晴れ 土曜記)