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イッセイエッセイ

873号 戦国の地政学

2013年10月05日(土)

 戦国武将のなかで織田信長が天下を統一できたのは、識見や実行力において秀でていたためと単純に考えるのは間違いだ、とするのが作家・加藤廣氏の意見である(NHKラジオ「『黄金』から見直す日本史」第8回から)。
 同時代の人物としては、武田(甲斐)、上杉(越後)、伊達(奥州)などの武将の方が、むしろ資質が上であった。柴田勝家も人物がとくに優れていた。ではなに故に、信長が下剋上を制することができたのか。その理由は次のようなことにある。
 日本列島はなんといっても南北3,000キロメートルにおよぶ細長い地形をしている。そうなると日本の真ん中あたりに本拠がなければ、地政的に天下の統一は無理である。しかも積雪のある地域は当時としては条件がわるく、けっきょく一番有利な場所は、尾張や三河あたりの地に落ちつくことになる。
 また肥沃な濃尾平野と米を支配できたからというのも俗論である。今とちがってこの平野は揖斐、長良、木曽の大きな三川によって分断され絶えず水害の脅威の下にあり、見かけほどには米石に期待ができなかった。そうではなくて、水害に強い桑の木の栽培によって、結果として労働集約的な米作と土地からの離脱(土着性がうすい)が可能になった。桑は商品作物であり女性の力によって栽培と加工が可能となり、男子の労働力が時間的、場所的に自由になり、いわゆる一所懸命型から兵農分離型へと転換し、商品を京都に売り込む必要から都への開放的な関心が生じた。兵農分離は一般には弱兵を生むのだが、鉄砲を使うことのできる時代に遭遇できて欠点を長所に解消できた。
 これに対し越前の朝倉氏は、米も魚も産物も豊富な土地に拠っていたので一種の豊かなアウタルキーの状態となり、外に行く必要がなかったため守勢にまわってしまった。
 概略このような主張である(なお、以上の点については歴史的な解明がいるであろう)。
 現在の福井県の地政学や生活スタイルを考えるとき、なにか参考になるような視点が含まれている気がする。

(2013.10.1 記)