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イッセイエッセイ

864号 昔しの時代を思う

2013年09月21日(土)

 日本の近代が大きな代償を払い、有機的な個性としての江戸文明を滅亡にまかせることによって成立した。このことを述べるため、いやより正確には、その滅亡したまるで絵のようであった特異な文明をできるだけそのままの形で物語りたいために、外国人の観察を通して「逝きし世の面影」(渡辺京二著 葦書房 1998年)は書かれたという(858号「歴史の行きつ戻りつ」参照)
 文明を人々の生活の総体と把えるなら、この前代の江戸文明は、外国人の眼から見る方が客観的により明瞭に理解できるのかもしれないのだが、しかしそこに生きた当時の日本人の著述からも、当然に描かれてしかるべきものである。そこで「江戸という幻影」(渡辺京二著2004年)は、こんどは普通に、江戸時代の我々の父祖が残した随筆や日記を用いて、永遠に失ってしまった文明つまり江戸時代の人たちの物の考え方や感じ方、行動の様子を、かずかずの逸話を通して追慕するのである。そこには奇談快談(怪談にはあらず)が満ち満ちている。最新の江戸ブームやエコロジズム、アーリーモダン江戸といった関心ではなく、そこには奇人の行状、徳川期の情愛、狐狸などの奇譚、いつでも死ねる心、庶人の家業や家庭生活、風雅の精神、旅の時代、隠された豊かさ、ゆるやかな身分関係、お裁きなどのテーマにそって、登場してくる語り部が江戸を描いてくれる。
 その中で福井に関係した話が一、二あるので、以下に記す。
 橘南谿(1753-1805、京の医師)は、天明期において、諸国をあしかけ七年かけて巡歴した旅行家である。
 この南谿が旅行の途中、越前の粟田部の寺に滞在したときの話である。近郊の医生六、七人がやって来て医術についてかぎりなく質問攻めにするので、とうとう逗留が二十日以上になってしまった。この地で越年までをしきりにすすめられたが、先を急ぐ身でもあり、用があるふりをして粟田部をひそかに忍び出た。新庄という所まで走り逃れて宿をとったが、翌朝には医生たちに追いつかれてしまう。そのうちの二人がどうしても帰ろうとしない。福井、三国、大聖寺、山中温泉へと一緒について来る。南谿と従者の荷物もかつぎながら、他の雑談を一切なさずに、ひたすら物を問うのみであったという。「日夜ただ医事のみを問う」のであった。京の先生からこの機をおいて物を学ぶ折はない、と彼らは見極めたのであろうと筆者は説明する。あまりの熱心さに感じ入って、山中の温泉宿でいくつかの秘事を教えて、彼らをようやく帰したという逸話なのである。(第二章「真情と情愛」39頁から)
 もう一つは有名な川渡甚太夫(かわとじんだゆう)(1807-1872、若狭国三方郡の久々子村の人)の話。困難な仕事の請負人であり、今でいえばベンチャー精神あふれる起業家である。あるとき、京の街へ三方五湖の鰻の輸送を頼まれる。さまざま人脈を使って輸送ルートの安全を仕切るのだが、京に入ったところで屋敷住いの博奕打ち18人に邪魔されそうになる。その時のこの若州の男伊達の面目と喧嘩闘争の場面が、本書で語られている。(第六章「家業と一生」113頁から)甚太夫の一生は、士農工商をものともせず、自由で奔放な男一匹の仕事振りを教えてくれると著者はいう。
 (自伝「川渡甚太夫一代記」<東洋文庫、平凡社>あり。これを参考にしたのであろう。2009年6月ごろ一読したことがある。)
 「逝きし世の面影」の中では、ともかく外国人の眼による日本と日本人の姿が、観察者と観察分野がマトリックスのような形になって描かれている。読んでいてある種の心地良さをつねに感じると同時に、自分の幼い頃の戦後間もなくの生活の思い出が、なぜか浮んで来る。著者は江戸と現代は断絶していると主張するが、やはり明治と江戸、戦後と戦前は、どこかに類似性ないし近似性があるからではないかと思う。つまり明治において江戸を思うことは、戦後において明治的戦前を思うこととは気分でつながっているのである。
 牛の引く大八車が村へと帰ってゆく姿があった。子供たちが薪を背負って家路を急ぐ姿があった。泥棒が両手を縛られ巡査と停留所に向う姿があった。瀬戸物の行商人がやって来て言葉おかしくし茶碗や皿を叩き売った。往来を貸切って伊勢の大神楽が興業を演じた。
 天狗が砂を撒くという暗い木立の道を通らなければならなかった。夜になると山の方から太鼓の音が聞えてきた。
 粉屋のじいさんが峠に狐にだまされて荷車が動かなくなったという話。祖母が子供のころ、狸が夜の裏戸から遊ぼうと誘いにきたという話。
 こうした今では考えられないような実景、親から聞かされた馬鹿げた話などは、まさしく戦前的なもの明治のものである。戦後まもなくはその残映が生きのびていたのである。戦後と現代の比較においても、写真に写っている子供の顔つきを見て同じ日本人がどうしてこんなに変ったのだろうかと思う。ごく最近まで子供たちはTVが近づくと逃げたものだ。美空ひばりの戦後の歌謡曲なども、今ではよほど心をその気にしなければ歌えないであろう。

(2013.9.16 敬老の日に記)