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859号 都と鄙の文化

2013年09月03日(火)

  ずいぶん以前のこと日本列島改造論が出てしばらく後、司馬遼太郎と山崎正和氏の間で行われた都鄙問答を読んだ。以下はその中から、山崎氏の文化を中心にすえた都市論の考え方を、便宜こちらの都合に要約したものである  
 全国への地方分散を唱えた田中元首相の考えは、一極(東京)集中を是正しようとする点ではいいのだが、しかし、5万人から30万人程度の町へどんどん投資を行って人口を散らせという考え方は、完全な経済主義の論理であって、文化的観点が完全に抜けている。一方、文化といえどもやはり経済原則の上には立っているから、ある程度の人間が集まれる都市を育てることが重要である。多様さがあって可能性をもった少数者が一定数いる位の人口を有する都市がいる。市民が新しい生活像を示せるような核になる都市を、地方につくることが必要であり、「多極集中説」がよい。昔の大藩であった城下町を念頭におくとよい(司馬遼太郎も「大藩の城下町ですな」と)。したがって三十万以上から百万人ぐらいまでの都市に思いきった投資をすべきである。要するに「文化のための都市」整備である。
 さらに対話から一部抜すいする。
 山崎「現在ある地方の都会を大事にしないから、農村の人たちがみんなただ一つの都会として、東京へ出てきてしまうんですね。もっとたくさんの都会が目と鼻の先にあって、ここはいつでも自分の使えるところだという安心感ができれば、農村で安心して暮らせます。現在の農村の生活は決して昔のように悪くはないんですから」
 (私見-現在の国民の意識は、地方中心都市も東京には対抗できない状態と見て行動してはいないか。)
 山崎「司馬さんが昔からおっしゃっていることですけど、地方新聞が成立する都市ですね」
 (私見-こういくことを35年以上も前に既に言っているのだ。同意見であり敬意を表す。)
 司馬「秋田、仙台、新潟、岡山、広島、松山、高知、熊本、鹿児島・・・。そういうところが核になって、さっきおっしゃったような鄙都市に文化を享受するセンターが・・・」
 (私見-地方の県庁所在都市とは少しちがうのかな。)
 以上は、司馬遼太郎対話選集4「日本人とは何か」から山崎正和氏との対談「日本人の内と外」昭和52年1977年からのものである。

 次に同じく山崎正和著「大停滞の時代を超えて」(中公叢書2013年)から、都会と地方にかかわる時事的随想の部分をとりだして見てみる。対談から最大で2013年引く1977年の年数が経過している。

 (1)「地域中核都市の発展の意味」(2005年西日本新聞)
 地域中核都市の発展(指定都市が例にあげられている)を東京一極化の防波堤と受けとめ、周辺地域の繁栄をも念頭に、健全に誘導する政策が必要である。
 需要の多様化、個人の自立と政治や生活スタイルの自由、知的情報の培養などから、都市はポスト工業化の中心地となるべきである。「横綱に対抗するには、ただの幕下の群れを増やすことでは十分ではない。地域ごとに大関にあたる都市があって、それが相互の個性を競う・・・」
(2)「都市集中-選択は二つ、発想の大転換を」(2007年朝日新聞)
 「対策の方向は二つ考えられるが、その一つはこの時流に果敢な抵抗を試みる選択になるだろう。その場合、私たちは生活水準を大幅に切り下げるとともに、大増税のうえ、その半分を話題の『ふるさと納税』に充てることになるかもしれない。もう一つの選択は逆にこの潮流に積極的に乗り、都市集中をより賢明なかたちで推進することである。東京の人口を現在の2倍に増やし、そのほかに十箇所ほどの一千万人都市を設けて、いわゆる多極集中をめざすのである」
 「それにしても現代の最大の問題はこのどちらを選ぶかではなく、こうした選択をおこなう制度が民主政治にはないということである。・・・ここは一つ、マスコミと非営利組織を頼りに、声をあげつづけるほかはあるまい・・・」
 (私見-ふるさと納税の意味がやや違うか。道州制論的である。)
(3)「『場所』のない時代の不安と憧れ」2012年
 主張を要約すると、最近の「田舎暮らし」を求める都会人の意識は、かつての別荘地ではなく、永住生活を覚悟しているようであり、都市においては昔のような特権意識を持ちえない市民の一種の不安からくるものか。
 「ITが展開する世界は場所がまったくない世界である。隣人がどこにでもいて、どこにでもいない世界のなかで、自由を極めた人類はあえて田舎の不自由を憧れ、みずからの居場所を確認したいと願っているのかもしれない」
 (私見-(1)と(2)については以前からの一貫した意見のように見える。(3)については新しい状況を論じているようにも見える。)

(2013.8.31 記)