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イッセイエッセイ

858号 歴史の行きつ戻りつ

2013年09月03日(火)

 年を重ねるにつれはるか昔が身近に感じるのは、実にふしぎな心理現象である。
 きのう今日と司馬遼太郎・萩原延壽(はぎわらのぶとし・歴史学者1926年-2001年)の「日本人よ“侍”に還れ」という対談を読んだ。高度経済成長ただ中の1972年(昭和47年)に京都で行われたものである。次の年はいわゆるオイルショックが起った昭和48年であり、いまから40年前のことになる。
 そこから年月の追想が生まれて、この年は中公文庫が創刊された年であり、広告をみて当時住んでいた滋賀県・長浜市の古い本屋で、この対談の司馬遼太郎の「豊臣家の人々」を買ったことを想い出した。「赤頭巾ちゃん気をつけて」や「老子」などと並んで十冊ほどの創刊ラインアップとして出版された。文庫本は買ったものの読みはじめて途中で止めたような気がするが、現在この本はどこにあるのか見当らない。小川環樹「老子」は本棚にある。巻末には昭和57年とあるから、初版からつまり十年後に買ったことになる。
 さて両者の対談であるが一番の要点をあげれば、日本人には確たる「原理」というものがないということの指摘である。西欧や中国などとはちがい「原理」が不在なので、日本人はとことん「対決」という態度をとることがなく適当に手をうつ。そのため本物の「寛容」の精神も生まれない。他の国民が強くもっている「原理」というものの理解と尊重ができないので、ついつい民族や人種批判に行きがちになる。それでも江戸、明治初期までは「侍の躾け」といった行動倫理が、侍社会やある程度の庶民層にまで広がっていた。それは維新によって徐々になくなっていった。しかし、「独立の精神」は持たなければならない(これはかなり広い意味をふくむ精神であり、福沢諭吉の考えをもとに対談をしている)。「原理」を生む基礎をもたない日本は、外国との交渉においては不気味感を与えたり警戒をされたりして、外交上さまざまな問題を起こす。(以上、対談の概略)
 江戸時代は厳格な階級秩序があって、ひどい目にあった人たちも沢山いたが、生活の全体を自然に仕切る士族的な文明というものがあったという考えである。

 渡辺京二「逝きし世の面影」(1998年葦書房)を読みはじめると、そこには江戸のよき人々の姿が描かれている。当時の外国人からみた(来日して記録を残したのは外国の指導層である)、日本人の陽気さ、礼儀正しさ、親愛の情、美しい作法、働きもの、貧困のなさ、村落のうるわしい風景、簡素な生活とゆたかさetc。ともかくも当時の日本人の表情に表われていた満足した幸せな様子を、多くの外国人が日記や記録の中で感嘆している。これがサイードの批判するような西欧からみたオリエンタリズムにすぎないのか、それとも近代化によって永遠に滅ぼされた独自の日本にしかない良さだったのか。

 きのうは教育関係の議論をした際、スマートフォンによるLINEアプリの弊害が話題になった。こうした機器にとり込まれ閉鎖的な環境ができ上り、子供たちがグループ化したり、小グループ内での発返信の遅れなどを発端によるいじめの発生、相手を見て直接話せなくない子供、学習時間の絶対的減少、といったかなり深刻な社会問題が生じているという話しになった。現代のコミュニケーションは、子供たち、若者層、大人が、それぞれ互いに理解できない方法をとるようになっているのだ。
 われら日本人の精神や行動の中に、ますます違和感のある新しい「技術」や「道具」が侵入し、しかしこれらをコントロールするには、自分たち自身に余りに「原理」というものが欠如している、という難しさがあるということである。子供たちに生活の規律、他者とのつき合い、ことの善悪など、確信をもって教える取っかかりや根っ子というものを失ってしまい持ち合せがないという問題に行きつくのである。マニュアルを作ったり、その分野の専門家をやとったり、要するに技術的な手段だけで解決しようとしている。宗教や道徳の力も借りれず、歴史の教訓もうまく使えず、子供に向って命のこと、思いやりや繋がりのことを語っても、さしたる土台にはならない悩みがあるのである。
 もしここで対談のように、ためしに福沢諭吉の「独立の精神」を用いるとしても、一体その意味するところが何んであるかである。
 上述のこととやや重なりが、対談においては、独立の精神の意味について、福沢諭吉は「自由とか権利とか、人間の高い部分のすべてをぶちこんだわけ」であるから、拠りどころを「どこから持ってくるかといったら、彼が攻撃せざるを得なかった封建制度下における支配階級、つまり侍が持っていた原理から、ということになりませんか」、「福沢の『独立の精神』には、実はこの気風に頼らざるを得なかったという矛盾があり、悲劇があったわけですね」と対談。
 「日本人に向っては、これから原理を持て、というのは無理な注文だと思うんです。日本には宗教的な伝統ばかりではなく、もともと原理を生む基礎のようなものがありませんから。しかし、これからは福沢のいう『独立の精神』を持たないと大変でしょう」(以上、萩原談)

 「独立の精神」とは、消極には徒党に頼らない精神を持つことであろうから、今の時代にはすこぶる勇気のいる心の持ちようである。積極には外に心を向けることであろうし、言葉と行動が伴うことが必要になる。教育の流儀は、幼児から高等教育までの十八年の一貫教育であろう。歴史の教育であれば、編年ではなく列伝の精神であり、ふるさと学でもあろう。国語教育であれば古典学であり、百人一首、白川文字学の世界に近づく。希望学の次の展開である。結局そういうことになるのではないか。
 最後に、最初の一文に戻る。
 ある子供が戦争に敗れた1945年に生まれたとする。童児が十歳の生徒になると、生年からさかのぼる十年前が二・二六事件にあたる。三十歳のときであれば、1915年の「二十一条の要求」の時代である。五十歳に及んでは1895年の三国干渉である。現在の年齢に至っては、それは1877年(明治十年)西南の役の過去となるのである。子供の頃は、日露戦争でさえ遥か遠くの昔であると思っていたが、今に至って日本史の年表を反対に折り返すとき、過去への時間の絶対距離はそんなに長くは感じなくなる。ちょうど今から見て終戦の年までの距離は、その年からさかのぼって西郷さんが亡くなった年に当るのである。

 日本のように独立した長い歴史をもっている国民は、一貫性と一体性のある時間認識を共有できる希な条件にめぐまれている。国の長い歴史を自己に結びつけることのできる特権を持っているのである。もっと意識を遠くに持つ必要があるだろう。自分たちの過去を、軽々しく扱わないように注意しなければならない。
(司馬遼太郎対話選集2「歴史を動かす力」平成14年文藝春秋社)

(2013年8月尽記)