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イッセイエッセイ

852号 総督の妻

2013年08月22日(木)

 郡上八幡の町には、八幡城が百メートルあまりの山頂に見上げるように築かれている。こういう高い場所に古城が戦国や江戸期にも実際その通りの姿であったのかは定かではない。登り口がはじまる広場には、山内一豊と妻の千代、そして夫の立身の基となった馬の銅像がある。一豊公を助力した賢夫人の出自であるが、この郡上の地に戦国領主であった遠藤盛数の娘だというのが歴史的に真説らしく、司馬遼太郎が作品に書いている近江説というのは確かな話ではないようだ。
 この週末、郡上市内で中部圏の知事会議が開かれ、夕刻この山城の天守に立つことになった。眼下には吉田川という名前の川とその支流が城下町を貫流し、緑の谷筋に囲まれて家並が密集する風景である。
 日本のあちこちに城郭があるが、天守閣への急な階段を登って汗をかくのはいつも真夏の季節だったような気がする。過去の幾つかの記憶を勝手にそうと決め込み、独り愉快な気分になった。
 そして翌日の土曜日と日曜日は、この夏一番の猛暑となった。昨日の土曜日などは、県内でも小浜市-この町は酒井公の城下町である-が35度を記録した。全国では40度にまで気温が上った地方都市がいくつも出た。
 用があって廊下に出ようものなら熱風が窓から入りこみ、冷えた部屋に戻っても頭がぼんやりとしてしまう。こんな日には、なにか爽やかな書物でも読まなければ、頭がおかしくなる。
 窓に下ろしている布のブラインドには、やや黄色い葉もまじる朝顔と風船葛の葉影がゆらゆらと陰に映り、室内のブラインドがまるで揺れているように感じる。窓辺の机上には、カリール・ジブラーン(1883-1931)というレバノン生まれの詩人の書いた「人の子イエス」(みすず書房 小森健太朗訳 2011年)という書物がある。これをちょうど読み終った。肌色の表紙には著者自身の手によるキリストらしい人物の横顔が描かれている。

 このカリール・ジブラーンの描くイエス像は、福音書が伝えるキリストの姿とはかなり隔たっている。表題にもあらわれているように、神の子ではなく、人の子としてのイエス像である。本書には聖書に出てくる名のある人物を中心に七十二人が登場する。著者の思いとしては、イエス・キリストの霊的な姿を、周囲の彼らが体験を語ることを通して現出させることにあったようだ。
 聖書を超えてキリストを描き出すことができるかどうか、これはきわめて困難な業であろう。とうてい成功しそうもない企てだとも思える。しかし解説にあるように、ジブラーンにとっては、従来のイエス像はどれもしっくりと来なくて気に入らなかった。そこで同時代の様々な人達の眼からイエス像を描いて、本当のイエスに近づきたいと希ったのである。したがって、その用いる文体は詩的かつ内面的であり、読者にスピリチュアルな空気を感じさせる。全体で七十九からなる小節は一つひとつの表題も、たとえば、バビロンの占星術師メラキ、ガリラヤの寡婦、宿屋の主人太っちょアハズ、のように既に詩のようになっている。
 マタイ、マルコに、ルカ、ヨハネと鉄道唱歌に乗せて順に福音書の名前を憶えるのがよいと、作家の三浦綾子がどこかで書いている。この四つの福音書には、どれにも総督ピラトが出てくる。その名を歴史に残すことになった人物であるから、当然にジブラーンの「人の子イエス」にも、「ユダヤ総督ポンティヌス・ピラト」と題する比較的長い節がある。さらに「ピラトの妻がローマの婦人に」という小節がある。同じくピラトの判決の場面に係わる「ローマの衛兵クラウディウス」という人物も出てくるが、これは隊長と呼ばれているから百卒長のことと思われ、名前は創作してある人物であろう。
 さて総督ピラトとその妻のことである。
 このピラトの妻の方は、なぜか「マタイによる福音書」の中にしか出てこない。そしてこのマタイ伝は、次のように書く(27章19節)。
 「また、ピラトが裁判の席についたとき、その妻が人を彼のもとにつかわして『あの義人には関係しないでください。わたしはきょう夢で、あの人のためにさんざん苦しみましたから』と言わせた。」とある。
 マタイが、このような一文 ―英語訳はHave nothing to do with that innocent man― をなぜ付け加えたのか(こういう言い方は適当ではないかもしれないが)、その意図は何であったのか、専門の研究があるのかもしれない。総督の妻は、夫のことを心配のあまりいらぬ口出しをしたのか、あるいはイエスに対して何らかの共感か同情心を抱いていたのか、それにしても自分の夢の話しまで持ち出したのはどうしてか。
 ジブラーンの語るピラトの妻の言葉の中から以下にいくつかを抜き出す(「人の子イエス」の223頁以下)。
 「女中たちを連れてエルサレム郊外の木立を歩いていたとき、私は初めて彼を見ました。」
 「この地の総督であるわが夫さえ、彼のような威厳をもって語ることはできないでしょう。」
 「目を閉じると、彼の眼が私の魂を探しているのが見えました。静かな夜の安らぎは、彼の声に支配されるようになりました。」
 「彼は私たちの五感には捉えられないところに行きました。しかし、あらゆる人の中で、いま一番私の近くにいるのは彼なのです。」
 どちらかというと詩的でない箇所を引用したのだが、それにしてもこのように語られると、愛と力によって、彼女は彼イエスに魂を結びつけられてしまっていたかのように見える。
 次に総督ピラトが語る部分を抜く(同書の178頁以下)。
 「あの男については、私の眼前に引き出されてくるずっと前から、妻が語っていた。しかし私は気に留めなかった。」
 「彼の眼差しには憐憫の念がこもっているかのようで、まるで私の方が彼に統治され裁かれようとしているかのようだった」
・・・・・
 「その後間もなく、私たちはシリアの地を去った。その日以降、妻は悲しみ沈むようになった。」
 「私が死刑を宣告した男が、黄泉の国から戻って来て、いまわが家にすら入り込んでいる。」
・・・・・
 「われわれの妻たちがいかなる悪夢にうなされようとも、ローマは世界の支配を広げ進めなければならない」

 ヒルティに「キリストの福音」(著作集第九巻)という福音書についての解説書がある。四つの福音書をキリストの物語として総合的にまとめ、教化的な目的をもって注釈を付記している本である。
 ピラトの妻については、ヒルティは特別な評価は与えておらず、単に世俗的な女性にすぎないと理解していたようであり、以下のように解説している。
 彼女についての文書記録は、唯一、後の時代の二世紀ころに作られた「ニコデモ福音書」と呼ばれるものに残されている。そこではピラトの妻は、クラウディア・プロクラという名になっており、この女性は大クラウディス家と親戚であった。この妻のおかげで夫ピラトは総督の地位を得たのではないか、と推測している。
 「この女を同情深い、あるいは真理を求める人物であったとする必要は少しもない。かえってただローマの裁判官の義務を心得ていたひとりの妻、また義務意識によって行動し、注意しがいのある男を夫にもつことを欲し、ただの弱虫を夫にもつことを欲しなかったひとりの妻でありさえすればよい。」

 すでに見たようにジブラーンにおいては、ピラトの妻は、つかの間のあいだにイエスの影響を受け、心理的に圧倒される女性になっている。しかし、ローマの百卒長ならばともかく、支配者としてのローマ総督の夫人が、早くもこの時期に感化されるような社会情勢にあったかどうかは、いろいろと検討を要する問題であろう。
 福音書が伝えるような状況は、ピラトにとってはともかくも、全く降って湧いたような迷惑な事態であったろう。ルナンの「イエス伝」にも、ユダヤの地は民衆が煽動されやすく騒擾の多い土地柄だと書かれており、異邦人には住みにくい難治の国であったのである。ピラト自身は、不徹底なままに騒動に関与してしまった結果、ローマの権威確保と大衆迎合との間で心がゆれ、最後はユダヤの民衆に対し「わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい」と、不本意な裁きしかできない破目になった。
 そうであるとしたならば、あらかじめ忠告した総督夫人は、おそらく賢妻の一人であったと言うべきなのだろうか。
 深い思いで書かれた詩のような文を読んでいくうちに、このようにあれこれ思うこととなって、頭がじゅうぶんには爽やかとならなかったのである。

(2013.8.11 記)

 このお盆休みの最終日、テレビのチャンネルを動かしている途中に、チャールトン・ヘストンの顔が大写しで現われた。ややあって映画「ベンハー」の最終場面であることがわかった。キリストが十字架を負って坂道に倒れ、主人公がローマ兵の囲みを抜けてイエスに井戸の水を与えようとするシーンが続いた。季節は夏ではなかったはずだが、全体の情景は汗と血、ほこりと暑気に汚れ、実務的なローマ兵の赤マントだけが目立つのである。しかし、やがて雷鳴が轟き、天が裂け稲妻が地を打ち、暗黒の中に慈雨が降りそそぎ、地上の全てが爽気と覚醒の中に天を仰ぐのである。

(2013.8.18 追記)