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イッセイエッセイ

850号 プライド・システム

2013年08月05日(月)

 プライド(自負心、誇り)を持つということは、人間としての存在理由の基礎になっている。いかにこの内心のプライドを、人間が精神と行動においてさまざまな家族、職業、地域、国家レベルの社会関係のシステムの中で、外にも表わし確かめながら自己の幸せにつなげていくか、この努力と葛藤が生きることの意味である。
 上記は奥井智之著「プライドの社会学」(筑摩選書2013年)を概読しての我流のまとめである。本書自体もエスプリをきかせたスタイルをとり、読者に著者の研究者としてのプライドを示している。人間が社会的な動物であることは当然であるから、個人のプライドも、コミュニティ(様々な階層での、わたくしたち、としての集団)とつながりをもって、その中に表現される。
 地方自治の仕事をする「われわれ」としては、地域のコミュニティに最も関心がある。
 「一般に故郷は、わたしたちのプライドの源泉である。たとえば故郷の名山、名所、名刹、名水、名湯、名木、名産、名酒、名菓、名君、名土などを、わたしたちは『誇り』に思う」のではあるが(第3章「地域―羊が人間を食い殺す」から)、しかし今ではグローバル化のなかで、トマス・モアの「ユートピア」の勝ち組・負け組のように、日本のコミュニティも崩壊しつつあるのではないかと述べている。都市と地方という視点からのコミュニティ問題に対する処方はなお明らかではない。
 地方にも都市にも、コミュニティとしての地域プライドがあるはずである。地方側のプライドとしては、生活が豊かであり幸せ度が高い、都市に対し人材、食糧、エネルギーなどで貢献している、という最近の意識傾向があると考える。大都市側のコミュニティは、もともと人口が集中し他に対して中心性を持ち、さまざまな話題にこと欠かないため、おのずとプライドが強く浸透しているという見方もありうる。また、首都などはオリンピック開催に見られるように、国家のプライドを自己のプライドと重ね合わせて観念しており、自信は過剰かもしれない。しかし一方で、大都市の個人(自己)、家族、階級、職業(これは異論もあろう)などのレベルでは、多くの社会問題を生みこれらを抱えている。地方は意識を強くコミュニティの存立と自己のプライドの意味づけに向けているが、大都市は善悪、禍幸混然として流動するばかりで、そのことが都市のプライドであり万事こまかく意に介す暇のない状況かもしれない。
 本書のエピグラフにあるジェーン・オースティンの「高慢と偏見」の中のエリザベス嬢の言葉「あちら(・・・)がプライドを持つのは勝手です。しかしこちら(・・・)のプライドを傷つけるのは許せません」

(2013.8.4 記)