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イッセイエッセイ

848号 明治の疲れ

2013年08月02日(金)

 編集付記にあるように、本書「明治への視点」は1965年から1989年にかけて刊行された『明治文學全集』の月報所収の同名の『明治への視点』と題した各エッセーを、出版元である筑摩書房編集部が筑摩選書(2013年)の一冊としてまとめたものである。
 本書の巻末に参考として全集の一覧表がある。第1巻の明治開化期文学集から第99巻の明治文學回顧録集、そして別巻の總索引とあるから、全100冊の大事業である。「明治年間の文学遺産を多分野に亘って網羅し」全集出版の歴史に残ると自負してもよい事業ということである。各巻の月報の書き手は、表紙カバーの袖に書かれた宣伝文にあるように、「当代一流の執筆者」であり「多士済々の執筆者が描く、時代のたたずまい、作家の面影、思想の風景」を示している。簡単な執筆者一覧を数えてみると全部で59名である。多い方は一人で7回執筆している例もあり。全月報が掲載されているので「本書自体が一級資料となる一冊」と見ることができるかもしれない。ちょうど時代的にみれば『昭和から見た明治』という視点になる。
 改めて執筆者をみると、最も早生まれの方は、名前はよく存じないが1882年の生方敏郎(随筆家・評論家)、もっとも遅生まれは1935年生の紀田順一郎(評論家)と大江健三郎(小説家)の二人である。とはいっても現存者はそのうち九名であり、他は今は亡き人たちである。
 二十五年間かかって完了した全集の出版事業であるが、どの月報がどの一巻に付され、またいつ頃書かれたものかは残念ながら記されておらず確認できない。しかし、月報は本書に掲載されている順序で出されたと想像してよいのだろう。
 本書をざっと眺めて、明治時代の性格を最もはっきりと断定しているのは「明治の時代」を書いた吉田健一(1912-77、英文学者・評論家・小説家)の文章ではないかと思われる。
 「この頃になって強く感じるのは、明治の時代が大正に比べて如何に立派であったか、(あるい)は少なくとも、そう思うほかないかということである」と述べる。例として明治にできた建築、人物として福沢諭吉、明治の代議士達、西洋料理、鷗外などをあげている。
 「彼等の根性がしっかりしていたということは、その生活がしっかりしたものに根差していたということである。それは長い健全な文明の伝統に根差していた・・・」
 「明治の日本人が所謂(いわゆる)、知的には外国から何も学ぶことがなくて、学ぶ必要があったのは、当時の言葉を借用すれば、西洋の物質文明だけだったということであり、そのことから明治という時代そのものに対する評価もこれからかなり変って行くことが予想される」
 明治の変革は日本人の手に負えぬようなレベルのものではなかった。しかし、この業績は大正、昭和へと一種の疲れという形でひきつがれ、後世代がその代償を払うべきものとなったと吉田健一は述べる。
 この種の明治の見方と司馬遼太郎が示す明治の絵解きとの違いは何であろうか。彼は大正12年(1923年)生まれであり、明治百年の直前、昭和41年に「竜馬がゆく」を書き終えている。
 たとえば司馬遼太郎「この国のかたち(二) 汚職」(1989年)を読んでみる。
 「もともと明治維新は薩長の書生による革命ともいうべきものだった」、専制と汚職が共存する政体でもあったが「明治の国家は、十分に成功した国家といえる」、「明治元年から同十年までの明治政府が世界史上まれといえるぐらい有能だったことをいっておかねばならない。教育、鉄道、逓信(ていしん)、内務行政、建軍など、近代化のための基礎はほとんどこの十年にやり(おお)せた。」

 そのほか、本書の中から明治の見方に関していろいろ捜して読む(捜さない箇所の方が、体験談や聞語り談、人物評としては面白いのだが、止むを得ず以下の抜粋を)。
 河盛好蔵(1902年明治35-2000年) 「私にとって明治時代というのは、活気に乏しい古い町(拙注:大阪堺)に育ったせいもあるが思い出しても気が滅入るような、楽しい思い出のあまりない、暗くて、陰気な時代だったように思われる。」、
 「ベル・エポックとして追慕するような時代ではなさそうである。ただ人間だけはどうも明治時代のほうが、ひとまわりも、ふたまわりも大きくて、偉かったように思われる。バック・ボーンもしっかりしていたし、国際感覚も、現代の日本人よりはずっと豊かで鋭かった」、「明治の時代なぞ少しも恋しくないが、明治の人が懐かしい」(「明治と私」から)
 池田彌三郎(1914年-82年、国文学者・民俗学者) 「明治という時代のかぶがばかに上っている。・・・現在の評価を低く見てその一時代前の過去をほめるのは、一種の『型』のような気がする」、「ともかく『不衛生・非衛生』ということになると明治は決していい時代ではなかった」(「明治是非」から)
 杉森久英(1912年-97年、小説家) 「明治の人たちが偉大であったのは、多数に呼びかけ、多数を煽動し、風向きが悪くなるとすべての責任を多数になすりつけて、スッと姿をくらましてしまう昭和の人間特有の、狡猾な処世術を知らなかった―いや、知っていても、用いることをいさぎよしとしなかった点にあるのであろう。若いとき明治を嫌悪していた私も、五十をすぎてようやく、その偉大さがわかってきた」(「明治の偉大」から)
 会田雄次(1916年-97年、歴史学者・評論家) 「明治が現在に欠ける何物かを持っていたというなら、それは果たして何か。あるいは本当に持っていたのだろうか。それが私の明治に対する関心なのである」(「明治を思う」から)
 高坂正堯(1934年-96年、国際政治学者) 「われわれの問題は逆に、われわれを制約すべきものがなにもないことから生じている。われわれは一つの目的を信じ、そのために努力を集中するという生き方はできない。そして私は、そうしようとも思わない。しかし、それが可能であると同時に、つらい必然であった明治は、歴史の画廊の中で私の好きな絵の一つなのである」(「明治と私」から)
 中村真一郎(1918年-97年、小説家・詩人・文芸評論家) 「私は『明治百年』と云うような言葉が流行り、明治維新がまたもや絶対的の善であるような既成観念が復活しはじめる気配を感じると、どうも居心地が悪くなる。恐らく次の一世紀の間に、維新に対する市民の感情も『聖者』と『怪物』の両方に大きく揺れるようになるだろう。そうなれば明治という時代の特徴も、もっと虚心に見ることができるようになるだろう」(「聖者と怪物」から)

(2013.7.27 記)