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イッセイエッセイ

845号 大きいものへの物差し

2013年07月29日(月)

 「震災当初に発表した津波警報が過小評価だった問題に日々追われていた。彼のおかげでふと立ち止まり、冷静に物事を見つめることができたと思う」と、『交遊抄』(2013.7.17日経新聞)において気象庁長官が3.11の震災と友人のことを書いている。同窓の彼というのは、歴史地震研究会の会長であり、大震災の直後、近い地震の可能性について聞かれても、科学において客観的に評価できないことは「わからない」と新聞記事で答えていたことを思い返しておられる。
 地震が発生した場合、その震度や津波の警報は、一刻でも早く発出されることが仕事の命である。したがって性質上、即時に実務的な処理と判断をして国民に向け公表するはずである。しかし真剣な仕事の後に生じてくる諸問題の処理については、どうしても責任者のところに戻ってくる。そうしたことは他の行政においても経験することである。
 阪神淡路大震災の時などもそうであったように、地震や津波の極めて大きいものは、過小に観測して発表しがちになり、逆によく起る普通並みの地震については過大に評価され、俗に言うオオカミ少年的になるように感じる。
 対数的に大きくなる地学的な現象を、比例的な物差しで測ろうとすれば大体においてそうなるのか、急いで知らせる必要があるから不十分な情報になるのか(例えばS波をまたない段階で速報するなど)、あるいは過去のデータを使って推量することから例外的に大きいものは基準からはみ出てしまうものなのか等々。
 もしこうした制約があるにしても、日本の地震学の研究は、もっと測定と仮説のサイクルを科学的に蓄積しなければならないだろう。
 また別の態度として、安全側に立った評価というような言い方をする人達も中にはいるが、それだけの態度ではほとんど意味をなさない。都合のよい立場を自分勝手に主張しても、社会として何も得るところがないのである。

(2013.7.19 記)