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イッセイエッセイ

844号 あるものの意味(車内雑記)

2013年07月29日(月)

 堤防を車で走り、下道に向って坂をおりようとした。ちょうど坂道の手前の堤防上に、めいわくな駐車ぶりで車が止まっている。そのため対向車が停車し、坂を上ってくる車も当方の下りようとする車も、その付近でめいめいお見合いとなる。
 そんな場面に出くわして仮想命題が頭に浮かび、物があること自体が一種の障害を生じさせるという思考実験を行うことになった。
 周囲を見渡せば平野は広がり、川が流れ、木々は地形によってあちこち茂る。近く遠く山々は連なり、遠くの山はなぜか高い。
 では山は視野をさえぎる障害物かと言えば、自然の他のものを邪魔しているわけではない。それ自体が自然の一部であるから、目障りと人が思うのは勝手である。クモの糸と同じであり、自然の一つの姿、自然に反するところはさらにない。
 しかし反対に、地上の人工物は自然の中では障害物となり、周りを見渡してみればわかるが、人間が自然の中に作ったものは車窓から見える鉄塔であれ建物であれ、石碑であれ看板であれ、大小高低をとわずどんな場所を選んでも何かのじゃまになっている。地球上に一万年近くにわたり人間は掘ったり、張ったり、積んだり、そのほか様々なことをして諸々なもので地上を覆い尽くして来た。人の作ったものができるだけ自然のじゃまにならないためには、どのような時間経過や条件がいるのだろうか。
 人間の活動と社会における立場も同じであろう。その立場にいるかぎり、相応しい行動に努めなければ、無用なものに思われかねない。

(2013.7.19 記)