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843号 椋鳥通信

2013年07月24日(水)

 椋鳥たちが大騒ぎをしながら庭に下りてきた。声も姿もどっちも騒々しい鳥である。
 椋鳥は嘴と脚は黄色、体色は中途半端な灰黒色であり、翼を広げると白まじりになる。この鳥のやや小型の茶色がかったのは、雌なのか若鳥なのかわからないが、どちらかだろう。
 椋鳥は、すこぶる付和雷同型の鳥であり、群がってよく似た行動をし、同時に勝手なこともする。歩き方は小走りでせわしく、飛んだり跳ねたりし、鳴くときは雀の声を大きく濁らせたような声を発して実ににぎやかだ。いうなれば団体の観光客、無垢な子供の遠足の類いである。落ち着きがなく、あれこれ何でも脈絡なく気を向ける。ジッとしていることはなく、ほとんど考える瞬間がないような様子である。首の辺りを猛烈に脚でひっかいたり、黄色の脚で羽根の脇をいじったり、躰のあちこちを突いたりして、全く落ち着きがない。
 さほど知恵の低そうな種属には見えず好奇心はあるのだが、冷静さと分別に欠ける様子であるので、カラスの弟分にはやや無理がある。
 特別の好みもない鳥らしく、この点はほめてもよいのだが、止り樹にもきまった取合せがなく赤松の太い枝に並ぶこともあり、サルスベリの葉陰に群がりもし、花の終った沙羅の木にも近づく。雀の真似をしてか、金木犀の密な茂みの中にもごそごそ入り込む。
 芝生に降りて草に首をつっ込み、餌をついばむかと思えば、飛んでいる虫に突然跳びついたり、周りに落ちている常緑樹の枯葉を暇にまかせて咥えたりする。塀垣の屋根瓦や埋土の砂に羽根を平たく広げて、虫干しか日光浴のようなこともする。ときどき口を大きく開けたまま、何のためかしばらく空を向いている。
 一斉に飛んで来て、やがて一斉に飛び去り、いつの間にか居なくなる。遠くから眺めている分にはよいが、一定の近さで見るにはあまり好ましい鳥ではない。しかし、椋鳥たちの思い及ばぬことながら、鳥の姿になって、われわれに人間自身の姿を見せてくれる。これは人間の都合で言うならば、自然の神がこの身近な鳥に与えた使命かもしれない。
 こうした眼前の椋鳥のせわしない風景は、窓に広がった朝顔の大きな葉っぱと、伸びゆくフウセン葛の模様の影を通して、夏の庭を眺めたときのものである。
 しかし近景に焦点を当てると、尻の大きな黒い蜂が、フウセンカズラの小さい白い対の小花に一つひとつ止り、秩序正しく静かに同じ動作をくりかえし、蜜を得ている姿が目に入る。
 ここまでは午前中の一時間ほどのことであった。庭を眺めたり書いたりしているうちに、ようやく椋鳥の声は全体に遠のき、単発的となり静まってゆく。ちょうど運動公園の方角からは、夏の野球予選でどこかの高校が勝利したらしく、校歌の最後のところが聞えてきた。
 もう一度、窓から外に目をむける。背の高いサルスベリのあたりがざわざわ動き、椋鳥はまだ沢山群がっているのであろう。椋鳥にも多少の好みがあるらしい(先程は好みがないと書いた)。先ほどの大騒ぎは嘘のようであり、なぜかもう鳥は声を上げることなく、よく見ないといるのかどうかわからない。

(2013.7.15 記)

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 ちょうど昨日は、高橋たか子の「日記」(出版元の名を忘れた)と「福永武彦新生日記」(新潮社2012年)、「明治への視点 『明治文學全集』月報より」(筑摩書房編集部2013年)を一緒に借りた。
 最初に高橋たか子の「日記」をあちこちと読んでいるうちに、日記の中に偶然同じような椋鳥の風景にぶつかった。一つの鳥に対しても、人によって様々な感じ方や書き方があるものだと思った。そして、同じ日に自分がこの鳥を見て関心を向け、その後この作家の椋鳥の話を読むことになった偶然を不思議に思った。
 次のように書いている  
 「私の窓の前の、広い草地に、たくさんの椋鳥が来る。草の中の何かを餌にして、あちこち、ばらばらに、あるいは何羽かずつ列状になったり、ふと何かの気配で、一つの群が木の茂みへと飛び立っていき、そのうちに別な一つの群が飛び立ち、でも、しばらくすると全羽が草地へ降りてき、同じような餌拾いの動作を再開し、そうこうするうち、何のせいなのか、群の(かしら)である一羽が合図でもするのか、何十羽もが一斉に飛び上り、広い草地の上の広い中空へと波状になって、西へ西へと去っていく、そんな眺め。ぼうっとなって見ているだけで、うれしい気分。群と共に、いや群になって、うれしい気分が、空を飛んでいく。梅雨の晴れ間の今日、記す  」(2004年6月17日)
 次の日の6月18日の彼女の日記には、「純文学消えるのか?」というやや懐かしい言い回しの一行のみが書かれている。そこで他にも短い一行日記があるかとさがしてみた。さかのぼって2003年10月16日にあった。
 「遺言として。白筆年譜以外の年譜は無効。(私に関して、また高橋和巳に関して)」とある。意味はわかるが意図はあまりわからない。

(2013.7.15 記)

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(知恵は神の啓示)
 そして今日7月19日、朝刊を見て驚いてしまった。
 高橋たか子さんが、81歳で逝去されたことが写真入りで報じられている。この作家の本は、これまで一度も手にしたり読んだこともなかったのだが、今回のcoincidenceは一体どういう確率なのか奇妙に思った。
 新聞には、同年輩作家の次のような談話が掲載されていた。以下その一部。
 「非常に意志の強い人。カトリックに帰依し、信仰の問題を主題にした優れた小説をたくさん書かれた。・・・」(加賀乙彦・読売新聞)。
 「彼女が小説に描いた女性たちは、感覚がとがっていました。・・・書いているものとは裏腹に、夫の和巳さんにつくし、人柄は古風なところもありました。」(古井由吉・朝日新聞)。

 もう一度、彼女の日記を眺め返してみる。そこには強い自意識、社会風潮への不満足、遠藤周作らのこと、亡夫への思いetc。
 そして次のような言葉もある。
 「その人が生き終った途端、何かが茫漠と立つ。その人の魂なのか?」(2003年10月15日)
 「日本に、何が欠けているのか?・・・一人の人の存在的エネルギーの量とか強さが西洋人にくらべて少ないのではないか・・・」(2003年5月4日)
 「何事においてもそうであるが、自分の出生地に自己満足してしまえば、その人は多様な成熟の路をみずから断ってしまう。」(2003年11月17日)

(2013.7.19 記)