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イッセイエッセイ

838号 習い事はじめ

2013年07月22日(月)

 小さい子供が習い事を憶え上達する大事なタイミングは、小学低学年の時であるようだ。
 今月の「私の履歴書」(7/3、7/4版)を読んでいると、大竹名誉碁聖は、その年齢のときには夜に寝て朝に起きれば腕が上っているといった上達の早さであったそうだ。九歳(1951年)のときに木谷先生に直接打ってもらい、「あの子を内弟子にしたい。すぐに連れて帰りたい」と言われた。神童にして成り立つ話かもしれないが、普通の子供においても、同様な成長の条件下にあると推測してよいだろう。
 江戸幕末は、寺子屋への入寺(いりでら入学)は、六歳の六月六日とされ、六歳が習い事の「稽古はじめ」であった。

(2013.7.7 記)


 大竹氏は九歳で入門したが、さらに幼い子も後に入ってきたそうで、木谷先生は「弟子入りさせるのは早ければ早いほどいい」(7/10版)と考えていたようである。

(2013.7.10 記)


 きのうは列車に長い時間乗ることになった。文庫本の大きさは夏上衣の内ポケットに入るから、山川菊栄さんの「武家の女性」という薄い本を相手に車内の退屈をまぎらした。幕末の水戸城下の暮らしを生きいきと描いた本である。

 そこにも、満六歳から習い事をはじめるという江戸時代の風習が書かれている。
 「お塾は誰でも勝手に開けるわけでなく、藩の許可を得た上で、相当の学者と認められた人にだけ許され、弟子(注 男の子の弟子)は満六歳から始めて二十近くまで来るのが普通でした」(15頁)
 「女の子も満六歳になると、手習いのお師匠さんへ弟子入りをしました」(32頁)「女の子は十二、三のころからお縫子として、裁縫のお師匠さんに弟子入りします」(40頁)

(2013.7.15 記)

 今日は、栃神谷鳴鹿森田線という長い名前の県道が晴れて開通し、お祝いの式典が永平寺町の光明寺というところであった。道傍のテントの中では、永平寺中学の吹奏楽部の生徒たちが、先生の指導よろしく立派に祝賀の演奏をしてくれた。指導の女性教師と話したところ、彼ら中学生の年頃はおそろしく憶えるのが早いそうで、一年間でむずかしい演奏をマスターしてしまうということであった。ここでの楽器演奏の習得が、江戸時代の六歳の手習いに当るのか、それとも十二歳の裁縫なのかは考えさせられるところだが、しかし条件が可能ならば、できるだけ開始は早いにこしたことはないように思う。

(2013.7.17 記)