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イッセイエッセイ

837号 青い柿の実

2013年07月22日(月)

 一週間あまり前のこと、夜遅くに湿った涼しい庭の気配にひかれ、庭に下りて静かな気分を味わってみた。梅雨の季節だから夜空はしずかに曇っており、暗く薄く広がった雲を背景に、その下層には小さな雲のかたまりが、あちこち眺められる上空の様子なのである。
 柿の実がどれ位大きくなったか気になり、植えられている鉢に近づくと、先端の若い葉は暗やみに明るく浮びあがり、茎に近いふつうの葉は緑が濃く鮮やかなはずなのだが、闇の中に見分けにくく今は暗い色に沈んでいる。
 近寄って、柿の実の一つひとつに目をこらす。この次郎柿の実は富有柿とはちがって、丸四角と言ってよい形をしており、親指と人差指で小さく輪を結んだほどに成長している。実の数の方は去年に比べ今年はかなり少ない。
 この梅雨の闇に薄く緑色に見える柿の実をじっと見ているうちに、ふと子供の頃のことを想い出した。戦後まもなくのごく数年だけであったが、現在では忘れ去られてしまったような戦前の暮らしがそこにあった。その頃の子供たちの夏休みは、朝早くはラジオ体操、そして午前中は少しだけ宿題、昼飯が終るとすぐ近くの川に泳ぎに行くのが日課となっていた。
 柿の実の想い出であるが、堤防近くの柿の木から子供たちは小さい青い実をもぎ取り、これを相手に素朴に遊んだのである。泳ぎながら柿の実を流れのすこし先の方に投げる、実は下の方にかなり速く沈んでいく。犬かきをしながらその沈んでゆく柿の実をつかまえに行く。水中にバタバタ潜って実をつかめたらそれで成功、一回が終るのである。こうした動作を倦かずに何度もくり返し、休みが終るころにはそれなりに泳ぎや潜りが上手になっていった。上達し足りない部分は来年までお預けであった。
 水中では眼を開けると柿の実はぼんやりとした形と色をしており、朦朧と沈んでゆく緑色の柿の実が、梅雨の夜の暗がりに記憶として重なって現われたのである。

(2013.7.6 記)