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836号 都市と農村、地域と連邦(フランドル~ベルギー)

2013年07月20日(土)

 最近読んだ「スイス・ベネルクス史」(山川出版)から、ベルギー史にあらわれる都市・農村問題、自立主義・連邦主義問題について、日本にも参考になると思うので以下に要点をまとめた。

 14世紀のベネルクス地方の都市と農村の人口関係が「現ベルギー地方での都市化の度合は14%、現オランダ地域では5%にのぼったとみられている。」(207頁、「中世都市の成長と発展」)
 当時、フランドルの二大都市ヘントが5万6000人、ブルッヘが3万5000人、のちの大商業都市のアムステルダムは、この時期まだ8000人程度の町にとどまっていたようだ。
 「盛期から後期における都市発展の背景には、農村との連繋関係が強く働いていた。農民の都市への自然発生的な移動・・・・・・・・だけでなく、都市当局は市民権授与・・・・・をとおして周辺農村住民を誘致・・・・・・・する政策をとった。さらに農村部に居住しながら、一定の納税と義務をおうことで市民権を取得する市外市民制度・・・・・・は、農村住民を誘致するのみならず、彼らの居住地への都市裁判・行政の拡大をはかるものであった。他方、市民は農村部の土地取得・・・・・・・・に投資し、十三世紀末には有力市民の多くが土地経営者となった。」(208頁、「同上」 傍点小生)(注)
 ブルゴーニュ公によるベネルクスの低地地方の統一が強力に進められたのはフィリップ善良公(在1419-1467年)の五十年近くの治世といわれる。それは有名なホイジンガーの「中世の秋」の世界である。フランドルの諸都市に根強く残る地方自立主義(パルティキュラリスム)を克服して中央集権的機構をつくっていった。(220~221頁、「低地地方の政治的統一」)

(小生注)中世都市が、農村あるいは農民に対し市民権を与えて都市移住を誘致し、あるいは納税によって市外市民権を取得させる手段をとったことを意味する。さらに市民側は、農地に対して投資もしている。
 現在の日本において、当時とは逆に、地方が都市住民に何かの方法をとろうとするとき、これらの事実が参考になるかどうかである。

 なお、以上のことは直接関連しない話しながら、ベルギーの地域言語主義と連邦制について、次のような問題があった。
 現在のベルギーの言語地図は、ゲルマン語系に属するオランダ語(フランデレン)を使用するベルギー北部と、人種的にケルト系に属しフランス語に近いワロン語を話すベルギー北部に大きく分かれる。
 1830年の革命ではベルギー王国が成立してフランス語を公用語としたので、オランダ語の復権を求めるフランデレン運動が19世紀後半から動き出した。そして1932年には学校教育において一国一語ではなく、地域言語主義がとられるようになった。第二次大戦後は逆にオランダ語の地域が経済発展をし、両者の対立が熾烈化した。そのため1963年の言語法によって両語の境界を確定し、さらにその後も幾多の調整をへて、現在のオランダ語圏、フランス語圏、両言語併用圏(ブリュッセル)、ドイツ語圏に線引きされた。加えて1988年~1993年以降、小国として問題をかかえながら政治的にも連邦制をとらざるをえなくなり、相互寛容の精神の下に国としての一体性を維持して来ている。(163-165頁 「序章」、433頁「単一国家から連邦制へ」)
 ベルギーの歴史を見ると、日本のように民族や言語に多元性のない国においては、殊さらに一つの国を割って連邦にする必要性などはないように思う。こうした連邦制度は、新たな対立をつくり、このことはさらに連邦制の傾向を強め、各連邦は国に対してそれぞれ特別扱いを一層求める傾向を生むだろう。そしてそのことが格差をつくり出すだろうという、いわば他山の石ではないかと思う。

(2013.7.14 記)