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イッセイエッセイ

833号 瀬戸の風景上下

2013年07月14日(日)

(風景上)
 松山の知事会議に、東京経由で行くことになる。三角形のルートとは、不思議な構造の列島日本である。
 羽田から松山へ、東京は35℃。四国上空に至るころ鉄床形の入道雲が二つ出て虹も立つ。光がさえぎられて下界は明るくはないが、瀬戸内海の東から西までの島々や三つの大橋も、ともにすべて左窓から展望できる絶妙の機会にめぐまれる。
 その途中に航空機に三回会う。下方を小さく見えながら反対方向にまたは斜方向に飛んでゆく。上空から一望できる島々の複雑な互いの位置や壮大な海と陸と造作物のパノラマは、古えの海賊たちがきっと抱いたであろう冒険的な気分をいまに感じさせる。地図とはちがって島の形は荒削りに見え、海岸がみな鋭角的にえぐられ、まるで孤の集合である。
 人間の作った明石大橋は紙細工のようにしか感じられない。次に現われた瀬戸大橋はやや橋らしく見え、四国側の丁度つき当りには讃岐富士が小さく置かれている。しまなみ海道の橋々はそれぞれ大小と方向と形式が違い来島大橋は遠景のかなたにある。高松にも広島にも居たことがあるので、島の位置とか名前が大体わかる。大きな島のまわりには小島通いの連絡船、瀬戸の花嫁・・・こうした歌の材料になったような離れ小島もいくつか散在する。
 道後の会場まで空港から車で三十分ほど。空港からすぐに小さい山が二つあり、トンネルを過ぎる。城下のカーブの道のところに近づくと、昔のこの風景を思い出し、さらに道後への途中のコンベンションホールのところで、もう一度25年ほど前に戻る。

(風景下)
 朝、市内城下の秋山好古の旧宅の前を通る。一方、大通りから二筋入った道にあるはずの虚子宅の石碑は路傍にみえず、運転手恐縮。
 伊予鉄駅から出るバスは、我々をふくめ四人が乗るだけであり、がらんとしている。乗賃3,800円。
 松山市内をはずれたこのあたりの郊外は、不整形の小さい田圃だらけである。平野部から瀬戸内の海岸に出て風景が一変し、海がきわめて透明で漂流物がなくきれいであり、日本海とは比較にならぬ。波が弱いのであろう、テトラポットも整然と石垣のように組まれている。小さく低い防波堤は、白黄色の美しい石積であり、見なれている日本海の磯に比べると浜辺は庭みたいである。近くには釣船も浮び、沖には大きな船がよく通り、いかにも瀬戸の海らしい。しかし、上空からとは違い島が重なって単純な水路に見える。
 菊間という地名の町を過ぎるとき、瓦工場が多いことを知る。しかし山際には粘土の採掘場が見えない。自然の風景の中から突然、太陽石油と書かれた製油所が目の前に現われ、煙突から赤い炎がゆらいでいる。次の大西町では来島ドックの造船所あり。
 伊予鉄松山駅から45分ほど過ぎ、「しまなみ海道」の始点である来島大橋に入る。はるか眼下に家並が見下される高さのため、景色がよいと感じる。赤と白のまだらの十数本のクレーンあり、今治造船である。美しい港と集落が組み合わさった小島も見える。来島海峡の橋は瀬戸大橋に似て雄大であり、橋脚が五、六本あり立派である。下を海水が相当速く流れ、貨物船も動いており、川のような筋と渦が表面に現われている。最初の大島には石材の切場と工場あり。大島-伯方島-大三島-生口島-因島-向島と通過するのだが、地名の看板や車内放送が次々と前もって出てくるので、途中からだんだん頭の中で対応しなくなる。
 伯方島にもドックあり。古い中層アパートに干物が見える。外国人労働者をやとっているのかもしれない。多々羅大橋は脚2本の中型の橋、橋の手前の左下方に、リゾート地らしい建物や公園が見下せる。これを渡ると瀬戸田PA。ここから生口島であり、広島県と表示が出ている。みかん畑やハウスあり、観光地なのであろう。そして老年期の形をした中四国に特有の山あり。
 その後も島の名と橋の名とインターの出入口の名が次々と現われ、いよいよ何処がどれか分らなくなる。十ばかりのバス停では一人も乗降なし。どの島も観光地としては通過するだけの島々のように感じるのは残念である。しかし、高速道は瀬戸の島々の段々になった畑やさらに下方の町並、その先の港を背後から見下すような位置を走り、きわめて気分のよい丘陵風景を見せてくれる。
 最後の尾道の水道からは、対岸の都市化した街並みが見渡せ、建物の連なりが独特であり、広島で勤務していた頃の景色とは昔日の感あり。福山市内では予定よりも混雑せず、福山駅に10分ほど早く着くことができる。一便早く新幹線(のぞみ)で新大阪まで行き、そして一便早いサンダーバードで帰福。都合七時間かかり、一日仕事であった。福井駅でも暑い日に照らされる。
 部屋で一息つくと西窓の朝顔はちょうど枠いっぱいに広がっている。

(2013.7.9 記)