西川一誠後援会サイト

イッセイエッセイ詳細

イッセイエッセイ

832号 高浜七年祭

2013年07月14日(日)

 佐伎治神社の高浜七年祭りを見学する。想い返すと六年前はおそらくこの祭りの宵宮に行ったのではないかと思う。
 四時ごろに神社に着く。ちょうど境内では最初の「東山」の神輿が、周りの衆と押し合いへし合いをしている。やや殺気だって袴姿の人たちが神輿を中央に押し返したりする。しばらく同じやりとりを繰り返し、これが七年祭の神輿担ぎの流儀かと合点する。見学者たちは、神社境内の傾斜地に沿って三段ほどになった高見席から観ており、主客あわせて千人は超えるか。ロシアの総領事家族やエジプトの専門家の吉村氏もおられる。祭をかつて統裁されたと言う片山氏が横の席にいて、昔をふり返りながら誇らしく解説してくれる。嶺南の市町長と一緒だ。
 そのあとの神輿は「西山」、「中山」と都合三基入って来る。東山は金色仕立てで一番立派に見え、中山は駕輿人数が百人くらいで一番大きく豪華である。白装束の左袖に赤い線を入れた、赤、黄、緑のハチマキの数人の指揮者が棒を振り笛を吹き統裁役をつとめる。
 そのあと二十分ほど何も起らない休みのような時間があるのがいかにも古くからの祭らしく、この種の中だるみいとおかし(実際は奥の神殿で神官が行事をしているらしい)。途中、空が暗くなり雨もすこし落ち雷鳴もし、観客たちはザワザワしそうになるが、そこで止ってくもりのまま天気は持ってくれる。
 その後はそれぞれ三つの山に属する人たちが、独特のスタイルで「大太鼓打ち」を披露。それから「太刀振」というものが始まる。荒むしろだけを敷いた上で、二人が太刀を持ち替えたり、振って交叉させたりする所作をゆっくり行う。次に芸能衆が、幡随院、鈴ヶ森、彦山権現といった江戸期の演題のものらしい芸を撃剣の形で行う。刀、槍(真槍もあり)、梯子、手裏剣、鎖鎌、尺八などを武具にして、仇討などの様子を太刀振によってする。次の危険な動作を始める直前に大きな声を互いに出し、振られた刀の上を跳んだり、槍先をからくも避けるなど、歌舞伎風かつ芝居風の所作をする。動作ごとに首をかしげ、速いとゆっくりな動きが交錯する。敗れた方の人物は前転して退くことが多い。その次に出てくる「本神楽」(西山地区)は、子供の頃に田舎に毎年訪れたいわゆる伊勢の大神楽風であり、地鎮の動作らしい舞いをゆっくり行い、これに合わせる五、六人の笛もやや静かである。
 これらの祭事を終え、神輿は境内から一直線に北方の鳥居浜に出るという行程である。これがこの祭の七日目の「還幸祭」のフィナーレである。我々は一足先に海岸に向かう。
 神輿三基が順番に白い砂浜に現われる。一基ごとに練り歩き、群集に向かったりして気勢を上げたりする。砂浜もだんだん足跡だらけになる。各基とも砂浜に現われ、竹の立った神官のいる所定の場所に静かに落ち着くまでに時間がかかる。今回はとくに時間がかかっているようで早や暮れかかる。三基そろって納まった瞬間から独特の間合いの時間が流れ、やおら「もみあい」の動きが始まる。「もみあい」は最後に入って来た東山と最初に現われた中山が主として競い合い、西山が見守るような形になる。東山と中山が祀る神が夫婦であり、西山はその子だそうである。今年は中山の神輿がこれまで余りに動き過ぎたためか、疲れを見せ低く傾いてしまい、東山の方は軽妙に移動してたえず相手に側面をむけず終始優位を保った展開になった。二十分ほどで所定の位置にまた戻って落着する。
 次に三基とも海に足元まで入ってゆく行事があるとのことである。しかし海岸はさらに暗くなり、このあたりで見学していた茶屋の宅を出る。この宅は、表の街道から裏の浜まで一軒が細長く続く京風の間取りになっている。

(2013.7.6 記)