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イッセイエッセイ

821号 雑想(3)

2013年06月05日(水)

・何かを予測しすぎて行動すれば、それによって生ずるストレスは大きくなる。例えば交差点で前方から車が来るとする。そのまま突っ走る車か大人しく徐行する車か、自分勝手に後者だと予測しても始まらない。無情のものへの感情移入は無駄なことである。これら自分の外にあるものは、それが物や仕組みであったり、世の流れであったり、場合によっては人間そのものであったりしても、どれだって当方の予測に従って動くものではない。

・日常的に使用する物についての置き場所は、それが最適の場所でなくなったからと考えて、新しい都合に合わせ元の場所を変えるのは、避けるべきである。日常の体験を考えても、いざ使う時に変えた場所を忘れていたり不都合であったりして困ることが多い。元のままが結局便利なのである。人の場合に置き換えても同じようなことになる。

・数日前のテレビのビックリ仰天的な番組に、アメリカのプレッパー(と言っていた)と呼ばれる人達の極端な生活の仕振りが出ていた。まさかの災害(基地への襲撃、ハリケーンその他)に備えて、彼らは家中のあらゆる空間に周到に食料を備蓄したり、サバイバルのため家族全員が何日もの地下生活を送り、子供をふくめた銃器訓練、野原のコオロギなどの昆虫を食す野営対策なども実行している。これらプレッパーたちは、気まぐれな趣味の世界を一線超えた信念の人たちであり、自らを或いは他人を救おうと願う自助・他助の精神を持つ真剣な常時訓練者であり有事準備者なのである。

・畑の苺を夕方に摘んだ夜は、床に入って目をつむると赤い色の残像が眼底に現われる。これが絹莢を摘んだ日は、緑の模様が現われる。視覚の自然の復元力なのか、それとも頭脳に残された刺激が眼に反応するのか、いずれにしても目的的な行動によって得られた外界の特徴的な残影は、記憶が生まれる仕組みの原初的な説明になるのかもしれない。

(2013.5.30 記)