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イッセイエッセイ

816号 雑想

2013年05月21日(火)

・どんな簡単な扉も又どんな頑丈そうな扉も、押したり引いたりしてみなければ、開けられるかどうかは見かけだけではわからない。

・正しい場所は必ずその近くに在るはずだが、将にその正確な場所を特定したり、其処に正確に立ったりすることは通常困難である。囲碁でいう正着の難しさ。

・われわれは自然の良さを、自然のままに表現するわけではない。たとえば俳句で自然を表現するには、季語すなわち歳時記の眼をもって自然を構成する必要がある。
 源氏に夕顔が物語られて初めて、夕顔という植物が梅や桜と同じように、歌の中でも詠まれるようになる。

・同じ類いのものが同じ日に知らされた場合、客観的に重要度の高いものが大きな扱いを受けるのではなく、より劣位のものであっても対立的な性格のものは、ニュースとしての扱いが大きくなることがある。

・人はささいな事に、またささいな事ほど心を乱されるので、それらが一日の或いは半日の気分に影響して、一定の時間を不快や快にし、その名残りがしばらくつづく。

・人間は直接じぶんに関係のない話しは、そのまま聞いて聞き流してしまいがちである。話し手の方からは、そうせずに気に留めた方がよいとまでは言わないので、話しはそのままに終る。相手に少しでも関係があるように話せば或いは将来のために聞ければ、幾らかは伝わることになるだろう。

・一再ならず(何度も)、二度あることは三度ある(二度あったことは必ずもう一度繰りかえす、とくに悪い事)、仏の顔も三度(温和な人もたびたびの無法には怒り出す)、三度目の正直(一、二回は当てにならぬ)、再三再四(何度も)・・・。人は何回でわかるか、人は何度だまされるか、人は何度行なえるか。

・「自分がそうであったりそうであったかもしれないものは、他人にそう思われたものであると思いなさい」。周りを気にし過ぎないこと。(「不思議の国のアリス」から、六重否定命令文の要訳)

(2013.5.12 Sun. 記)