西川一誠後援会サイト

イッセイエッセイ詳細

イッセイエッセイ

814号 ちはやふる、と神々

2013年05月17日(金)

 ことしのゴールデンウィークは、ことのほか低温でありヒンヤリしている。春の雪山とくに白山はこの季節が美しく、いうなれば神々しい。これから黒い岩肌の部分が白の中に現われ出るが、はじめは龍がうねるような姿に見え、それが日本列島の形に似てくる。やがて気づかぬうちに、いつの間にか夏山になる。
 この連休中、こども歴史文化館では「かるた王国ふくい展-ちはやふる」が開催され、今日は講談社マンガ編集者の冨澤絵美さん(あわら市出身)が来県し、栗原績かるた協会長、林教育長、笠松館長と一緒に意見交換をした。
 きょうも天気が良いけれど風がずいぶん冷たいね、と言いながら足羽山の愛宕坂を登る。坂の途中の空地は草が伸び始めており、そこから西方の街の様子を見下す。かつて来たことのある五嶽楼が、この近くの場所から無くなったのはずいぶん昔、来たのは陽の長い暑い頃の季節ではなかったかと思いながら、昼食の会場に入る。
 福井は競技かるたが盛んであり、小学校の国語学習で百人一首を普及しようとする計画もある。江戸時代には寺子屋に通う庶民の子供たちは先ず「いろは」を憶え、その次に女子の場合は百人一首を手習いとして学ぶというのが普通であったようだ(吉海直人・同志社女子大教授「百人一首から広がる日本語の世界」本年1月にラジオ第2で4回シリーズ)。
 福井県をおもな舞台にした福井弁のとびかう末次由起さんの少女漫画によって、かるた王国福井がもっと世の中に認知される期待を持っている。仕事の進め方としては、百人一首、かるた競技大会、白川文字学賞、橘曙覧や越前の紫式部や万葉相聞歌の普及、沖の石など歌枕と観光地を点と縁のネットワークとして面的に強めてゆくこと等が必要であろう。
 帰りに、館長から季刊雑誌の「福楽」(2013年53号冬、54号春)を見せてもらった。冬号は「白山信仰の源流をさぐる」、春号には今回の「百人一首とふくい」特集であった。
 数日前(4月30日)に、富士山が世界遺産に登録される予定というニュースが流れた。富士や立山、そして折にふれて目にする白山、「雪残る頂き一つ國境」(子規)である。自分のように、山は眺めるが一番だと眺めてすむものなのか、一度は登らなくてはならないものなのか、はては観光やブランドに役立てるべきものなのか(昔でいえば恐れ多いこと)、さまざま議論や趣味の違いが出るだろう。
 先の雑誌に紹介されている白山信仰の諸説は、次のようなことであった。「白山」は朝鮮語ではペッサン、限りなく音はベッサンに似ており、「別山」の由来ともなっている可能性がある。あるとき、白山の地主祭神が女神イザナミに神の席を替り、「シラヤマ」と呼ばれるようになる。「ハクサン」となるのは江戸時代以降のことのようだ。
 韓神・漢神はもともと本邦では疫神とみなされ、朝廷が禁じたにもかかわらず、人々は祟りを防ぐため屠牛祭神(道教の影響か)の風習が行われてきた。これら神仙思想と日本の古い神祇思想(後の神道)が混淆し、神仏習合が行われる(国定の名神大社、神身離脱思想による神宮寺たとえば気比、大虫、若狭彦神社として建立)。しかし白山は韓神信仰の越の拠点として、しばらく神祇体制への転化がおくれる。越の泰澄大師は「泰澄和尚伝」によると、白山信仰の変化観音信仰による十一面観音(その変化身である九頭竜王)に出会い感得する。(福楽54号「白山信仰の源流をさぐる③」笠松雅弘・こども歴史文化館長・文からの一説を粗抜)
 山岳の話から、元の「かるた」の話しに戻る。
 会長の栗原さんが初めて覚えた札は「高砂の尾の上の桜咲きにけり外山の霞たたずもあらなむ」であったと語っておられる。子供には最も憶えにくそうな歌であり、もともと名人的な才能をお持ちということだ。かるた競技の上級者でもある冨澤さんの話しでは、かるた競技と大学受験との関係は、両立が厳しかったとのことである。
 在原業平作「ちはやぶる」の下の句「からくれなゐに・・・」は、不思議の神代にも聞かないような鮮やかな紅色という歌意であるから、おそらく韓紅ないし唐紅と書くのであろう。これは白山の白とは対照的に、真紅の色彩を表現していることになるが、どちらも大陸的な由来の言葉でもって日本本来のものを理解している。

(2013.5.3 記)