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イッセイエッセイ

810号 愛着と童話

2013年05月02日(木)

 自分が知っている人は、よく知ってない同じ年齢の人よりも若く感じることが多い。偶然にこの二人がいっしょになった場面、双方の年齢を告げられて意外と思う体験からもわかる。
 その理由としては、昔から知っている人は若い頃からの印象や想い出などが重なって、若く感じる現象かと思われる。周りからみると老夫婦は年をとって見えるかもしれないが、二人の間では継続した体験が現在のあり様を多少相殺して、それほど感じないということになる。
 「きょう東坊が倉の隅から持ち出して来たので、また昔のことを思い出したよ。こうおじいさんみたいに年をとると、ランプでも何でも昔のものに出合うのがとても嬉しいもんだ」(童話「おじいさんのランプ」から)と孫の東一君に昔話を始める祖父。作者の新美南吉は三十歳で早死しているが、童話の中では年寄りの気持をよくわかって描いている。
 つまり、古い新しいと感じる問題よりも、身近だったものは親しみが根っこにあって、年数を経ても古くは感じないということがあるのだろう。
 自然の素朴な食べ物、昔ながらの道具、古い農家の建物、懐かしい景観など、逝きし時代の中でこのような物がどのように存在していたか、時代が離れてゆくにつれ知る人がわからなくなる。新しい人たちには単に古くさいものと感じられて、それがよほど特別なものでない限り良さを評価できないことになる。
 古いものは古城のくずれた石積みの如く、ますます断片化し一つひとつが忘れられ滅ぼされてゆくので、わずかな断片を想像力によって支えなければ残らなくなるのである。

(2013.4.29 記)