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804号 鳥についてのスモール・トーク

2013年04月21日(日)

 野生の鳥を見て、これが数日前に見た同じ鳥だ、というような気持を抱くことは普通には起らない。しかし、同じ鳥としか思いようがないことも間々ある。もしこの鳥がもっと頻繁に目の前に現われて、生き生きした動作を観察の対象というるならば、人間はこの小鳥に一層近い親しみを感じることになるであろう。籠の中の鳥がどういう興味のものかは知らぬが、生き物を自然のままに見ることは、人間にとって気持の良いものであることは確かだ。
 今朝の10時すぎの庭には、まずヒヨドリとみられる一羽が現われた。四月の半ばであるので芝がやや緑がかってきており、この芝の上に降り立った。この鳥は最近よく見かけるのだが、きょうは二羽いっしょではなく一羽のみである。この鳥の風貌が地味であるためか、いつも見る鳥が同じ鳥なのかどうかは見当がつかない。地上での歩き方は独特であり、数秒間じっとして首を伸ばしあたりを眺める。次に七、八歩すごいスピードで歩き、これには一秒を要さないほどの速さである。また数秒間とまって前方を眺めたり、自分の羽をつついたりする。そしてまた素晴しい急ぎ足で数十センチ前に進み、このくり返しを何度も規則的に行う。こうしてどんどん進んで行き、やがて窓の視界の外に出る。どうしてこのような歩み方をするのかは、当の鳥に聞くより方法はない。田や家の近くで此頃よく見かける白黒のセキレイの双いと歩くスタイルは似ている。
 目の前からヒヨドリが居なくなったと思ったら、直ぐに今度は空の上の方から、例のモズとみられる小鳥が一羽、夏椿の緑が目立ちはじめた枝の先に降りてきた。よく目に止まる色合いのはっきりした小鳥であるので、この小鳥こそ一、二週間のあいだに数回見ている同一の鳥ではないかと信じるのである。
 モズはしばらくして、これも柔かい若葉がやや出はじめた近くの紅葉の枝に移り、また直ぐに元の夏椿の枝に戻ってくる。この小鳥が地上に下りている様子は見たことがなかったが、今朝はどういう訳か二度ほど降りる姿を見せ、何かをついばんだ。枝に戻った時の嘴に目を凝らしても、虫は咥えていないようなので、大きい餌を口にしたのではない。枝先に停まって周りを見ているときは、尾をたえず一秒間に二度ほどの振動数で上下に動かしつづける癖をもっている。これは人間でいえば魚をねらう釣人が、同じ調子で釣竿を動かすのに似ている。小鳥への親しみが増すにつれて、この動作は上方から地上の動くものを全身緊張させて狙っている姿ではないかと、感情移入するのである。
 グリム童話の小鳥はハシバミの木に憩い、シンデレラを援助する大事な役柄を持っている。動物ながら主人公にとって心理的に実母の代わりをし、いつも願いをききとどけてくれる。小鳥のような小動物も特定してくると単なる自然物ではなくなる。

(2013.4.14日曜 記)