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イッセイエッセイ

802号 オストラシズム

2013年04月11日(木)

 表題に惹かれて「貝殻追放」という文庫本を手にした。作家であり事業家の後継も兼ねた水上滝太郎(1887-1940年)の著した大正半ばから昭和の初めにかけての評論・随筆集である。志賀直哉、武者小路実篤、里見弴、長與善郎などの白樺派と同時代の人であり、都会育ちで自意識がつよく率直かつ真正面なところは、白樺の作家たちと似ているところがある。しかし、文学の傾向はややことなり、生活を直接に文学にしたりはせず、久保田万太郎などいわゆる三田文学の系統である。
 この文庫には、永井荷風、小山内薫、島崎藤村など先輩格の文学者との交際、また芥川龍之介の死のことなど、人物記がかなり収められている。ほかの「新聞記者を憎むの記」(大正7年三田文学)、「独逸皇帝万歳」(昭和13年三田文学)などは、当時のいい加減で軽薄な新聞、学者や軍人に対する義憤を書いたものであり、実体験をまじえた社会批評になっている。
 なお冒頭の「はしがき」の部分は、また再びの現在の大衆迎合・ポピュリズムに対する批判と重なるところがあり、表現も面白いので以下に抜記した。
 「古代希臘(ギリシア)アゼンスにおいては、人民の(こころよし)とせざるものある時、その罪の有無を審判することなく、公衆の投票によりて五年間もしくは十年間国外に追放したりといふ。牡蠣(かき)(から)に文字を記して投票したる習慣により貝殻追放の名は生れしとか。今日(こんにち)人は単純野蛮なる審判をわれわれには無関係なる遠き時代のをかしき物語として無関心に語り伝ふれども、熟々(つらつら)(おもん)みるに現在われわれの営める社会においても、一切の事(すべ)て貝殻の投票によりて決せらるるにはあらざるか。厚顔無恥なる弥次馬がその数を頼みて貝殻をなげうつは、(あえ)てアゼンスの昔に限らず到る処に行はるといへども、(こと)に今日の日本においてその(はなはだ)しきを思はざるを得ず。・・・」(大正六年冬)本書はしがきから。

(2013.4.8 記)