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イッセイエッセイ

800号 でも大地は動く

2013年04月09日(火)

 ブレヒト著「ガリレオの生涯」1957年(谷川道子訳 2013 光文社文庫)は、近代科学の父ガリレオ・ガリレイを描いた戯曲。その時代の人々の考え方、いわゆる空気というものがよくわかる。自分の先入観のせいか、ガリレオの性格があっさりしすぎている感じがするが、随所に面白き言い回しなどあり。

 ガリレオ「宇宙は一夜にして中心を失い、朝になったら中心だらけ。つまり、いまじゃあ誰もが中心で、かつ誰もが中心じゃない。突然、たくさんの中心ができたんだからね」(第1章18頁)

 大学事務局長プリウリ「ヴェネツィア共和国が数学を軽んじているわけではありません。哲学のように必要でもなく、神学のように有益でもありませんが、数学は玄人(くろうと)には無限の楽しみを与えてくれますからねぇ」(同31頁)

 「棘のない薔薇はない、僧侶のいない王国はなし、ですよ、ガリレオ先生」(同32頁)

 ガリレオ「たとえば籠屋(かごや)のフェリーチェおばさんが下の店先で子供にお乳をあてがっているよね。あれだって、子供にお乳を与えているのであって、子供からお乳をもらっているのではないってことは、行って、それを見て、証明できない限りは、まだ仮説なんだよ。天体に関するかぎり、我々はほとんど何も見えない眼をもった蛆虫(うじむし)同然だ。」(同40頁)

 サグレド(ガリレオに)「その前に、君も人間だろう。そのうえで聞きたいんだ、君の宇宙体系では、神はどこにいるのだ?」
 ガリレオ(サグレドに)「僕らの中にだ、さもなければどこにもいない!」(第3章61頁)

 ガリレオ「売るときには驢馬(ろば)を馬だと言い、買う時には馬を驢馬だという、それが人間の狡猾さだろう。だけど、旅の前に、ごつい手で(わら)をひと束よけいに驢馬に食わせてやる老婆、船の貯蔵品を買う時に、嵐か(なぎ)のことを考える船乗り、雨が降りそうだと思ったら、帽子をかぶる子供、そういう人間のいることが、僕の希望だ。ちゃんと根拠を大事にする人たちだ。そう、僕は、理性が人間に与えるおだやかな力というものを信じている。人間はいつかはそれに抵抗できなくなる。」(同63頁)

 「古きものは言う、昔からそうだから今もそうだよ。新しきものは言う、よくないものなら消えてもらおう。」(第4章エピグラフ 73頁)

 ガリレオ「唲下、まだこんなに小さい頃(手振りで小ささを示しながら)、船に乗った時に、こう呼んだことがあるんですよ、『岸が遠ざかっていく』と。今の私なら知っております。岸が動いたのではなく、船が遠ざかっていったのだ、と」(第7章126頁)

 平修道士(ガリレオに)「金星の満ち欠けを観察しながらも、私はそんな自分の両親のことを思い浮かべるのです。両親が妹と炉端に座って、チーズ料理を食べている姿です。何百年もの(すす)で真黒になった天井の(はり)、働きすぎてしなびてしまった手、その手のなかの小さな(さじ)。暮し向きは良くなくても、でもその不幸のなかにはある種の秩序が宿っている。」(第8章142頁)

 ガリレオ「パンを食卓でしか見たことのない連中は、そのパンがどう焼かれたかには関心がない、だからパン屋によりも神に感謝したがる。だが、パンを作っている人たちなら、動かさないと何も動かないことを、理解するだろうよ。」(第9章174頁)

(2013.4.6 記)