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795号 人口問題の根本

2013年04月08日(月)

 一昨日28日の新聞には、厚労省が2040年の人口推計「地域別将来推計人口」を発表したことが報道された。日本の人口は、2010年から約2000万人減少(84%)して1億700万人となる。わが福井県の人口も、80.6万人から63.3万人となり(78.5%それでも減少率は少ない方から全国26位)、75歳以上人口は30年間で13%から10ポイント増加して23%(全国平均21%)となる。
 この福井の63万人台の将来人口は、過去の人口統計記録をしらべると、戦前のほぼ昭和5年から昭和10年の人口数にあたる。戦後になっての昭和25年頃の人口は75万人台である。
 また昨日29日の新聞には、衆議院選挙区画定審議会が「0増5減」による小選挙区の区割を勧告し、福井県についても3選挙区を改めて2選挙区にする案を示している。
 そしてさらに数日前のことだが、26日の新聞には大きく一面に、昨年の衆院選の結果は一票の格差により無効であるという広島高裁の将来効判決の記事が出ている。これは二つの弁護士グループが、何の法益を感じてか全国の高裁にこの問題を提訴した結果をうけて、裁判所が反応した判決なのである。新聞記事では、司法の不信が極限を超えたという解説になっている。
 これらの連続した報道はどれもが、日本の直面する人口問題に直接間接に係わる判断なわけだが、これらについて社説には、以下のような一つの傾向がみられる。
 この際自分たちの町が人口をふくめて将来どういう姿になるのか考えるきっかけにすべきだ、人口減少の傾向は止められなくても影響は緩和できるはずだから手をうつべきだ、といったような論調である。また各論的な主張としては、大都市においては高齢者の絶対数が急激に増えるので医療や介護対策が急務である、一方、地方は高齢化率は頭打ちになるものの人口減少は続くため地方としては独自の工夫がいる、といった見方である。そして人口減少のきびしい中でも、若者定住の工夫をして踏ん張っている自治体もあるとして、具体の村づくりの例をあげて、地方に対して新聞紙面で声援は送ってくれるのである。
 次に一票の格差の問題についての各紙の結論は、できるだけ平等をめざして一人一票にすべきとし、「一票の不平等」の「抜本是正」を急ぐべきというのが大体の方向である。
 憲法問題にかかわるこうした主張はもっともであり一見その通りなのであるが、一つ残念なことを指摘するならば、本当の根本問題、根底問題といってもいいが、そこまで解決の目を向けようとしていない点である。
 日本における大都市圏(今回の人口推計でいえば減少率の少ない十都道府県など)と他の地方との人口配置の積年のアンバランス状態こそがこの「一票の格差」の悪循環の根源であり、また出生率の高い地方から少子傾向の強い都市への社会流出が引き続いていることが日本の人口減少の根本要因なのである。しかしメディアは、決してそのことに近づかない論調になっており、政治批判にはなっていても、世の中のためには無力といわざるをえないのである。
 さすがに今日の30日の新聞(朝日)の「声」の欄には、「地方・都市の格差にも配慮を」という男性七十歳台の都民の意見が出されている。投稿者は一票の格差はあってはならないと前置し、「ただわたしは田舎育ち、農村人口が減少し続ける現実を知っている」、「今後一票の格差をなくすため選挙区の区割りを変更してゆくと、必然的に都市部の比重が高まり、選出議員も都市出身者がかなりの比重を占めることになる。そうなると人口希薄な地域や過疎地域の住人の意思は軽視されたり、無視されたりする傾向が強くなる」、「田畑を耕したり、山林を管理したりしている人々は、地縁社会で多くの権利を持ち責任を果たしていると思う」、「格差是正を検討する際は都市と地方の構造的な差異も含めて判断すべきだと考える。さもないと、地方や農村部は政治的にも切り捨てられてゆくだろう」、「TPP参加以降の国内経済を考えたとき、地方がいかに重要かを考慮すれば私の主張にも少しはうなずいてもらえるのではないだろうか」と述べ、やや遠慮がちながら地方への配慮を主張している。この種の考えは、おそらく田舎出身の大都市住民の誰もが、多かれ少なかれ抱いている国民的感情であろうと思える。
 しかし、現在支持を得ている一票の格差論には一つの限界があるように思う。それは古典的な啓蒙主義の平等論に立っているかぎり、法律上の形式的平等の主張に止ることになり、社会をねばり強く改善できないことになる。こうした裁判が特定の人達やメディアの関心事に終って、一般国民の意識から遊離しないようにしなければならない。国土計画や人口対策など国家としての基本に手をつけないまま、算術的な比率を是正しようとするのは、正義の主張と映り、反対はないかもしれないが、不平等現象と修正運動の悪循環を作るだけであり、真の公平という問題の解決にはつながらないのである。
 トクヴィルは「アンシャン・レジュームと革命」の中で、フランス革命がすざましい形で進展した主要な原因の一つとして、革命前に首都パリへの行政の中央主権、そしてあらゆる産業、情報、消費、快楽などの恐ろしいまでの集中が、一次的革命の形で前もって進んでいたことを挙げている。
 「パリが増大するにつれて、実際に地方の自由は例外なく次第に消滅していった。いたる所で、独立した生活の兆候がとまってしまった。互いに異なっている諸州の相貌の諸特性も不明瞭になってしまった」
 「フランス革命が勃発したときには、パリによる諸州の併合という第一革命はすでに完遂されていた」
 トクヴィルのこうした認識をあらっぽく要約するなら、有名人や実業者たち、才気溢れた人々は、ほとんど首都に引き抜かれてしまい、諸州の住民は第二流の内国人とみなされ、地方の住民にはもはや考える手段も野心ある生涯も送れないようにしてしまった、こうしたフランスの田舎の衰退、疲弊、無力化の現実がフランス革命の前夜に出来上っていたということである。(これらは同書の第七章から)

(2013.3.30 記)