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イッセイエッセイ

793号 中間層の存在意義

2013年04月02日(火)

 昔から「中間」というものに対しては、人々からの評価や同情があまりないように思う。
 むしろ極端な主義主張や行動の方が、単純明快でわかりやすく、世にもてはやされることが多い。白か黒か、右が左か、源氏か平家か、東軍か西軍か、勤皇か佐幕か、革命か反革命か、改革派か抵抗勢力か、どうせならはっきりした方がよいではないか、ということかもしれぬ。
 中間にやや近いものとして「中庸」、「中道」、「中立」など、かなり積極的な態度をあらわす言葉もあるが、過激に対してはどうも歩がわるい感じである。
 中間はどっちつかず、あいまい、右顧左眄、色彩では中間色ともいうべきものである。中間勢力やサイレント・マジョリティと理解されればまだしも、双方の極端からはともすれば反対勢力と見なされ、不利益をこうむることが多いのである。
 こうした思想信条の世界をいったん離れて、世の中を社会集団としての中間に同情を寄せて眺めてみると、中間であることもまんざら捨てたものではないところがある。
 オバマ大統領は、米国の繁栄は中間所得層・・・・・ (ミドルクラス)の台頭にかかっている、と二期目の就任演説をしている。
 また各国の15歳から64歳までの中間年齢層・・・・・ が全体の55%超のときに、その国の経済成長の「機会の窓」が開いていると言われる(日本は1965~1995年の間であった)。
 安西祐一郎・日本学術振興会理事長(元慶応大塾長)が述べられるところによると、「一握りのエリート育成では、日本は生き残れない。パワーになるのは、まず毎学年40万人の学力中間層・・・・・ だ。どの学生も必ず伸びる。力を引き出せないのなら、学生ではなく、大学側に問題がある」(「教育ルネサンス」No1708 読売新聞2012.12.22)という認識であり、学力中間層つまり普通の学生に期待をかけているように読みとれる。
 このことから中間の立場に身をおいて、極端な主張によく見られるたぐいの、反省なき偏見、正義ぶった利己主義、単純な理想論などに対抗するためにも、中間勢力というものの存在感と多数派性を知らさなければ少数過激に対し不公平というものである。

(2013.3.29 記)