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イッセイエッセイ

786号 楽を楽しむ

2013年03月14日(木)

 ドイツのロマン派の作曲家であるメンデルスゾーン(1809-1847年)は、絵にも才能を有していたらしい。「音楽が生まれる情景十選②」(日経2013.3.7)に出ているこの作曲家の「インターラーケンの風景」は、亡くなる二ヶ月前に描いた水彩画だという説明である。新聞での写真をみても、なかなか味わいのある古典的な印象の風景画である。交響曲「イタリア」、「スコットランド」などを作曲したメンデルスゾーンが、音楽の風景画家とも称されたのはもっともなことだ。
 音楽と美術には深い内面的な関係があるものと思われる。かのルネサンス期の巨人、レオナルド・ダヴィンチの伝記的な映画を昔みたことがあるが、ダヴィンチはいつもリュートのような弦楽器を奏でていた。
 音楽と絵画のどちらが人間の感情に強いインパクトを与えるかは、簡単には決められないにしても、音楽の方が経験から言ってわれわれ凡人の心を直接的に揺さぶるのではなかろうか。
 先月(2月)のことであるが、飛行機のイヤフォンに流れる流行歌を聴いた。これは通常の歌番組とはちがい、一世風靡のかつてのヒット・ソングを、別の意外な有名歌手が歌うというものであった。
 たとえば、石原裕次郎の「夜霧よ今夜も有難う」を舟木一夫が歌う、以下「長崎は今日も雨だった」(中尾ミエ)、「わたし祈ってます」(園まり)、「愛のさざなみ」(伊東ゆかり)、「年上の女」(木の実ナナ)、「おまえに」(ささきいさを)、「人生劇場」(美輪明宏)、「おふくろさん」(天童よしみ)など、直ぐに想い出せる元の歌手のナツメロを他の歌手が歌うのである。そして本来の裕次郎の歌を想像しながら、聞えてくる舟木一夫の声、そして記憶の中の高校三年生のメロディ、これら三つの響きが奇妙に錯綜するという面白い体験をした。更にその頃の自分の想い出とも重なって、一層複雑なる気持を抱いた。音楽が心に与える力は大きいと思った。
 論語の述而篇(7-13)には、音楽好きの孔子が、斉の国に伝わっていた韶(しょう)という舞曲を聴いて、感激のあまり三か月間も肉の味が分からなくなったと伝えてある。この古典古代の雅楽(と書いてもまだ新しすぎるか)のようなものが、どのような調べの音楽だったかは知る由もない。同じく論語の八佾篇(3-25)には、韶曲は、美を尽くし、また善を尽くせりと書かれてある。さだめし文化と政治が融合した最高の音楽であったのだろう。想像するに、どうやら孔子先生の教えの根本は、人間の教養すなわち「詩に興り、礼に立ち、楽に成る」(泰伯篇8-8)、という音楽重視の思想だったのである。
 福井県は昨年来、由紀さおりさん達の協力をえて、保育園・幼稚園や小学校で童謡や唱歌を広める事業を進めている。また小学生にバイオリンなど弦楽器を学ぶクラブを作っている。音楽が子供の心に与える影響は大きく、大事な教科であるという考えによるものだが、論語の教えに従って行ったことではない。

(2013.3.7 記)