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イッセイエッセイ

784号 英語学習と演劇と運転

2013年03月03日(日)

 英語学習は演劇に似ている。  
 おそらく英語学習でいちばん大事なことは、言葉を大きな声ではっきりと口に出すことであろう。ともかく恥らったり、はにかんだりしていては、英語の音声学習はおぼつかない。芝居の科白を憶えるように、できるだけ多くの言葉をインプットし、その上でアウトプットできるようにしなければならない。
 英語を学ぼうとする生徒は、演劇を学ぶ俳優の志望者と同じく、演ずるという心構えが必要である。平常の自分ではないかのように、演技の心をもって学習する方が効果的であると思われる。先生も生徒もそのつもりになって一緒に英語と格闘すれば、かなりの程度に英語はものになるであろう。
 昔の日本の小学校には、学芸会というものがあった。今の行事であれば、文化祭の一コマということになろうか。
 ときどきNHKの「世界ふれあい街歩き」という番組をみるのであるが、取材のカメラが登校中のイギリスの中学生と街角で出会い、質問すると子供たちは午前中の最初の授業が演劇の時間だと答えていた。
 しかし現在は、日本の学校では演劇というような科目や授業はない。普通の日本人は演劇を学ぶというようなことはない。そのせいであろうか、われわれ日本人は芝居がかったことがすこぶる下手であり、愉快さや遊び心のやや乏しい学校教育をうけている。
 英語学習はいわゆる勉強という側面も決して否定できないけれども、それだけではなくむしろ実践的で運動的な性格をもっており、演劇的な側面があるのである。誰でも自分を捨てた気持になって英語を身につけようと努力すれば、努力の結果は決して無駄にはならない。きっと先は見えてきて、英語を攻略できるようになる、この頃そう思うのである。
 この問題についてもう少し付言すれば、英語学習は運転免許の取得とも類似している。
 ふつうの日本人は誰でもその気になれば、自動車の運転免許を取れるのであり、必ず学科と実技をマスターできる。そして実際にも日本人は免許を取っている。運転免許の取得と同様、ねばり強くやれば学習は必ず効果をあげ、英語を聞いたり話したりすることが出来るはずである。
 願わくは、授業がもっと演劇的精神にあふれ、一つの実技の習得のような環境を作ることができれば効果的であろうと思う。
 よって本号の表題は、英語演劇説ないし英語運免説としてもよいのである。

(2013.2.27 記)

(以下は、大学を卒業して十年後の社会人の感想)

 演劇舞台特有の明瞭な発声、強弱をつけた言葉の組み立て、大袈裟にも見える身振り手振りは、たしかに英語を母国語とする人たちの日常会話の風景に近いような気がする。英語教育については、小学校5,6年での英語授業の必修化や幼児教育においても自主的な英語の導入が進んでいる。この年齢では自意識が強くないから、恥ずかしがらずに学習ができるかもしれない。英語教育の始めの段階において演劇的精神を活用し英語に触れることは、その後の英語学習、特にコミュニケーションツールとしての英語を学ぶ上で有益に働くと思う。
 英語の習得と運転免許の取得とでは難易度の違いはあるとは思うが、自動車の運転免許と同じように、英語の習得を特別なスキルと考えず、また英語コミュニケーションの必要性を感じながら学習することは重要だと思う。日本人がもっている英語に対する苦手意識の払拭は必要かもしれない。
 また、運転免許においてもペーパードライバーという言葉があるが、免許を取得していても運転をしなければ技能はだんだん低下していく。そう考えると、英語についても意識的に使ったり、英語学習を日々継続することも大切であると思う。

(2013.3.2 追記)