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イッセイエッセイ

776号 子音か母音か(英語と日本語についての独断)

2013年02月15日(金)

 英語をもっと良く聞いたり話したりできるために、ラジオ語学番組をしばらく聞いて感じたことだが、英語の音声の仕組みは子音が中心であり、母音はついでに発せられるような言語である、と言うことである。これと反対に日本語の方は、母音が中心の言語であること、あるいは母音と子音が深く一体化した言語であるということである。この考えが学問的に見て正しいのかどうかはともかく、そのように感じてしまうのである。
 英語が強と弱の拍の付いた一定のリズムを持っているのは、強く発せられる子音が中心となっている言語であるためである。日本語においてはリズムよりも音の数によって調子を出すように出来ており、それは母音を中心として成り立っているからであろう。
 英語の詩を例にとってみても、子音を基にした頭韻や脚韻に注意が向けられ、実際にも英語を話す人たちは、そのことに心地よさや詩的な響きを感じるはずである。日本人の言語感覚は、その種のことよりは同じ長さの音の集まった語数、つまり五、七調の音の同調に心を向けており、これが崩れるとつっかえた感覚を持つことになる。
 また英語には日本語と違って二重母音が多いのは、彼らがことさら母音部分を二重に発声したいからではなく、子音が強く発せられた後の腔内の都合、さらに次に続く次の子音との関係で、そのような音になるのだろうと極論したいのである。
 こうした事情もあって、日本人にとっては英語は聞きづらい言語なのである。子音が中心となって他の音が短縮し連続するところに、英語学習の困難の主な原因があり、そのことが意識されて教えられないためであろう。逆に英語の話者が日本人の英語を聞いた場合には、音の強弱や拍の調子があいまいに表現されるため、強弱のはっきりしないイライラした感じを与えるのではないかと想像する。
 英語の音声教育において、このようなことを強く意識して訓練を行えば、上達は現状よりも速くなるのではないかと私考する。

(2013.2.14 記)