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イッセイエッセイ詳細

イッセイエッセイ

766号 チャンス、ボランティア、ミラクル

2013年01月17日(木)

 このお正月明けに、永平寺の大田大穣監院(長崎・晧台寺住職、1929年鳥取県生まれ)が来訪された。永平寺のこれからのことをさまざま願ってのお話しがあった。その際、二年前に一緒に対談して、関係誌に掲載されたもののコピー(1)も戴いた。読み返してみて、我ながらすでに忘れている事が多いものだと感心した。
 あわせて次の三つのコピーももらった。「願うは核なき世界―1人が動かなければ何も始まらない」(2009年H21 10月4日 福井新聞大田監院のインタビュー)、これは原爆の火を米軍現地に帰す行脚、映画「GATE」についての記事である(2)。長崎新聞の「幸せの力限りなく」(2012年H24 1月1日)、これは3.11からみて翌春の記事であり、どうすれば希望をもって生きられるのかなど宗教者としての発言である(3)。最後のものはかなり前の2001年9月11日付(出典不明)「民主主義を超えて仏主主義の教育を」(4)。

 長崎新聞(3)のものは、「諸行無常」、「因縁生起(いんねんしょうき)」つまり縁起(えんぎ)のこと、「一息大吉祥(いっそくだいきちじょう)」息ができること自体がありがたいということ、「人間第一」かつ「天地人」、「悉有仏性(しっつぶっしょう)」宇宙のすべてに仏性の働きありということ、「健康長寿」根幹は座禅、それは体の安定・心の集中   身・息・心の調和であること。
 「民主主義を超えて・・・」(4)には、「この娑婆国土は私どもが父母を縁として偶然に生まれたところではない。自ら請願を発したことにより忍土である四苦八苦に充ち満ちたこの世に生まれ来たった。・・・社会の盤根錯節(ばんこんさくせつ)を解決する利刃に自らを鍛え上げる道場こそこの娑婆国土である。」、「請願生の私どもはまさに生まれる前からこの世への志願兵であり、ボランティアである。無縁の存在は何一つないこの世界で、本来争いは調和を保つための働きとみる」と述べられている。
 ちょうど今日(2013年1月12日土)の日経新聞「プラス1」には、戦後の人物の発言や著作をもとに「座右の銘にしたい言葉」、「落ち込んだとき元気になる言葉」、「仕事にやる気が湧いてくる言葉」について、インターネット調査をした何でもランキングが出ている。「どんな分野の人の発言が気になる?」という質問も同時にあって、回答者全体の順位は、上位から経営者、作家、スポーツ選手、科学者、映画・ドラマの登場人物、タレントとつづくが、若い20代の回答者は、気になる発言分野のトップがなんとマンガアニメの登場人物である。残念ながら政治家の発言は注目されず下位にあり、お笑いタレント、歌手並みとなっている。
 どういう言葉が参考になるかは、年齢や立場によって違ってくるから、ともかく自分が見つけた言葉に心ひかれることになる。ランキング十位までの中で、そうかなと思える言葉は、一般の順位は低いが、自分としては次のような言葉かと思った。
 

 「何かを捨てないと前に進めない」(座右の・・・6位、スティーブ・ジョブズ氏)
 「この世に生を受けたこと。それ自体が最大のチャンスではないか」(座右の・・・9位、アイルトン・セナ選手)
 「いつか、必ず、チャンスの順番が来ると信じなさい」(元気の・・・5位、秋元康)
 「小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています」(やる気・・・6位、イチロー選手)
 「モチベーションという概念は、希望につながってなければならない」(やる気・・・9位、村上龍)

 さて先ほどの、「この世に生まれたのは偶然ではなく志願兵」としてであるという仏教の思想は最も厳しい意味をふくんでいるが、ランキング・リストにおける上述の名言「この世に生を受けたことが、最大のチャンスではないか」という考えはこれに通じるところがある。

 映画「ベンハー」に、このテーマと関連する一場面がある(16号参照)。チャールトン・ヘストン扮するベンハー、友人の陰謀にあって家族は没落、ローマ船団の奴隷の漕手に身を落すが、将軍を戦場の海から救い出し家族として親しく遇せられる。しかし望郷の念止みがたく、請われた縁組みを断りユダヤの地へと帰還の道をたどる。道すがらオワシスでの滞在中、ベンハーは土地の長老にわが身の上を語る。そしてわが罪なき悲運を嘆いて言う「自分は神のことや神の奇跡などは決して信じない」。長老は諭して、「あなたがこの世に生をうけたこと、このことこそ神の大きなる奇跡ではないか」と答える。
 チャンス、志願兵、奇跡。すこしずつ次元のちがう見方ではあるが、その言わんとする事いずれも、人間は我が身ひとつの自分ではなく、この浮き世に意味なく生をうけたものでもない、ことを教えているようだ。

(2013.1.13 記)

 以下に、上記の対談(1)を載せる(平成23年1月1日発行「曹洞禅グラフ」から「歴史・文化は永平寺、自然は東尋坊、食べ物は越前ガニ!」をほぼそのまま収録)
 道元禅師が権勢の渦巻く都を離れ、遠く越前の地に永平寺を開創されたのは鎌倉時代一二四四年のことです。それから幾星霜、福井の地に根をおろした大本山永平寺は今も変わらず曹洞禅のメッカとして内外にその名を知らしめています。
 今回の特集は、二人のゲストをお迎えしました。永平寺監院として宗門興隆のために辣腕をふるっておられる大田大穣老師。そして、福井県知事として福井の地を愛し、その発展のために革新的な施策を進めておられる西川一誠氏です。お二人の福井と永平寺をめぐる洒脱な対談は期せずして一服の清涼剤ともなっています。
【インタビュアー石原】 福井県は、健康長寿、学力、体力、三世代同居、共働きの割合などが、日本一とかトップクラスというすばらしい県民性を発揮しています。それは西川知事の強いリーダーシップによるものが多いのではないかと思いますが、そんな西川知事の趣味は意外なことに俳句と野菜作りだそうです。
 まず野菜作りについてうかがいます。土に触れて作物を育てていらっしゃる様子を想像すると、柔軟な人間性と親しみやすさを感じるのですが、野菜作りはどのようなきっかけで始められたのですか?
【西川】 今から二十五年以上前でしょうか。わたしの子どもがまだ言葉を話せない小さいときに、絵本を読み聞かせるということがありました。子どもはなぜか『ぜんべいじいさんのいちご』というお話が好きで、わたしに何回も読んでほしいとせがむんです。それで、何度も読んでいるうちに、「イチゴというのはどうやって栽培するんだろう」と思うようになって、庭で作り始めたのが始めですね。
 それから、子どもが好きだった『ジャックと豆の木』というお話。豆の木は高くまでは届きませんから、キュウリを軒下に植えて、それがずっと屋根の上まで伸びる様子を見せて、子どもに植物の生長を分かってもらおうとしたことも、野菜作りのきっかけになりました。
 家で食べるだけですから、今の菜園の広さは百坪くらいですが、有機栽培、無農薬ということでやっています。畑で体を動かしておりますと日ごろの繁忙から解放されて、仏教でいうと「無我の境地」というのか、心が安らぐ思いがします。妻と一緒にできますし、家族協働の場としても最高です。
 農作物は人間と違って、手間をかけるとちゃんと応えてくれます。不満を言わないところがいいですね(笑)。今はキュウリ、トマト、スイカ、大豆、イモ、ゴマなど全部で二十種類以上を栽培しています。経済学でいうと、多品種小ロットというところです。
【石原】 福井県が、平均寿命の長さでも日本のトップクラスにあるというのは、そうした野菜を中心とした食事にも関係しているのでしょうか?
【西川】 そうですね。それはやはり県民が日頃から、自然な食物や精進料理に親しんでいることと無関係ではないと思います。実際に、精進料理の代表選手のような「油揚げ」の購入金額が、福井県では全国平均の二倍で、ダントツの日本一の消費量という調査結果も出ています。
 それから、福井県では子どもたちに対する「食育」に力を入れています。「食育」という言葉は、いま全国的に大変ポピュラーになっていますが、これはもともと石塚左玄という幕末の福井藩のお医者さんが初めて使ったことばです。この人は明治維新のときに陸軍軍医になった人ですが、「身土不二」、「医食同源」というようなことをおっしゃっています。いずれにしても、福井県はとにかく食べ物がおいしいところですから、県民こぞって「食」に関心を持っている地域だと思います。

●眼処聞声のこころ
【石原】 さきほど、西川知事はゴマも栽培していらっしゃるというお話がありましたが、ゴマと言えば、禅寺ではなくてはならない食材ですね。
【大田】 そうです。ゴマは栄養価の高い食品ですからね。禅の修行道場では朝のお粥に必ずゴマ塩を掛けていただきます。かつての永平寺ではゴマより塩のほうが多いくらいのゴマ塩でしたが、わたしが今住職をしている長崎の晧臺寺(こうたいじ)の修行僧たちはゴマを大さじに三杯ぐらいつかってお粥を食べます。ですから毎日、大きなすり鉢を皆で押さえ、ゴマを擦ります。
【西川】 ゴマは実ると、パカッと開いて、実がこぼれてしまうんですね。ですから完全に実る前にとって干しておきます。よくできたときのゴマは、砂のような感じのゴマになるんです。
【大田】 詳しいですなあ。ゴマには大きな青虫が付くでしょう(笑)。うちの寺の修行僧は、修行を終えて自坊に帰るときには、ゴマ擦りだけは上手になって帰ります(笑)。
【石原】 曹洞宗のお寺では、食事を作るのも、また食事をいただくのも大切な修行とされているそうですね。
【大田】 そうです。食事の前には必ず「五観の偈(ごかんのげ)」を唱えます。その意味は、この食事が用意されるまでに、野菜を作って下さった方々、料理を作ってくださった方々など、どれほど多くの方々のご苦労があったかということを深く慮ります。そして自分が日々その食事をいただくだけの生き方をしているかよく反省し、この食事を身体を養う薬として、また仏様の教えを正しく成すために大切にいただきます、ということです。
 食事にはたくさんの命が加わっている。天地の恵みもありますけれども、多くの物や人々の共同作業ででき上がっているものですね。うまくその縁を結び合わせていくことが大切でしょう。とにかく野菜作りというのは「眼処聞声(げんしょもんじょう)」です。つまり、「目でもって声を聞く」ということを倣(なら)っているわけです。
【西川】 「眼処聞声」ですか。
【大田】 はい。禅語にあります。例えば野菜はいちいち返事をしないし語りかけることはない。しかし、その声を眼でもって聞くということです。それを自由自在になさるかたが観音様なんです。観音様は、世間の音声(おんじょう)、苦しみにうめいている人たちの声を眼で聞き取ってくださるので、「観世音」とか「観自在」とも言います。「観」というのは、「深く見通す」「聞き通す」「「Listen」とかいう意味でしょうね。
 西川知事さんは野菜作りだけではなく、行政の上でも、それをなさっているのではないかと思いますよ。

●福井県の文化と永平寺
【石原】 西川知事は、岡倉天心の『茶の本』出版百周年記念に際して、永平寺の献茶式にお出になり、英文で書かれた『茶の本』の内容を抜粋してブログなどにお書きになっていますね。
【西川】 岡倉天心のご両親は福井県の出身なんです。わたしは、出版百年記念のときに、『茶の本』の初版本を探しました。世界中の本屋さんに問い合わせたり、インターネットで調べたりして苦労しましたが、とうとう探し当てて購入しました。
【石原】 どこにあったのですか。
【西川】 ニューヨークの古本屋さんです。本の後ろにサインがあって、コネチカットに住んでいた女性の方が、初版が出版されて二年後に買ったと鉛筆で書いてありました。
【石原】 茶道をはじめ、日本の文化はやはり禅文化を抜きには考えられないと言われていますが…。
【西川】 そうですね。道元禅師の生涯を描いた映画を観ましたけれども、禅というのは哲学の部分も含めて、グローバルに理解されていると思います。日本人だけではなく、外国の方も関心を持っているし、理解もしてくれていると思います。その意味でやはり永平寺は、修行の場であると同時に、禅文化の広範な発信地でもあると思いますね。
 福井県は永平寺を筆頭に、平泉寺白山神社、坂上田村麻呂の創建になる明通寺、蓮如上人ゆかりの吉崎御房、一乗谷の朝倉氏遺跡など、こういう名だたる歴史文化遺産が集中している日本でも珍しい地域だと思います。
 NHKが十年くらい前に全国の県民意識調査をしましたが、実は宗教を信仰している人の割合は福井県が最も高いんです。つまり信心深いということなのですね。人口当たりの神社と仏閣の数を人口で割りますと、それも福井県が一番多いんです。
 そういう歴史文化に培われた心の素養といいますか、それをしっかりと受け継いでいる。福井県はそんな県だと思いますね。そしてその中の一つに永平寺さんがあることは疑いないことだとわたしは思います。
【大田】 そうですか、知事さんはお茶などを深く研究なさっているのですね。お茶は、やはり日本文化の集大成ですね。床の間から掛け軸、布、焼き物、鋳物、庭、建築などあらゆるものを包括した総合芸術で、そこには型だけではなく、日本人の精神が凝縮されていると思います。

●「使い切らない」という教え
【西川】 永平寺の境内の入り口に左右一対の詩碑があって、右のほうには「杓底一残水」、左のほうには「汲流千億人」と刻んでありますね。これは文字どおり人々のつながりとか、エコロジーの大切さを説いているのではないかと思います。現在、人類が直面している環境破壊に対する警告ですね。そうした大事なことばがビシッと門前に出ているというのがいかにも永平寺さんらしいなと思いますし、このことばは時代の最先端の考え方だと思います。
【大田】 そうですね。自分たちだけで使い切らないということです。お茶でも、釜から柄杓でお湯をくんで半分茶碗に入れ、後はタラタラとお釜に返しますね。門前を入って右のほうに橋がかかっているのが見えますね。あれを半杓橋(はんしゃくきょう)と言います。
【西川】 半杓橋ですか。
【大田】 半杓の水は元に返して、後々の人に使っていただけるようにということです。この、「使い切らない」ということは、今の時代の基本的な考え方であってほしいと思いますね。それはお釈迦様がおっしゃっているように、すべてのものは縁によってつながっているからです。
 仏教には本来「無縁」という言葉はないのですよ。すべては「有縁」であり、「因縁生起」なのです。因縁生起というのは、普通、「因」と「生」を省いて「縁起」と言いますが、この世のすべては縁によって起こるから、みな持ちつ持たれつで存在しているということです。
 ところが近代以降、人間中心主義がはびこって、人間さえよければ環境などどうでもいいというような風潮が広まった結果、地球温暖化といった地球上の全生命の危機に直面するようなことになっている。昔はよく「天地人の三才」と言いましたね。天地人の一切が絡み合ってバランスを取っていた。ところが現代人は、田畑といった地の扱いもだんだんおろそかにし、空からやってくる色々なマイナスの影響も考えていない。自分たちがどういうことを天地に対してやっているかという配慮が足りなかったように思いますね。
 わたしは、五十年来、永平寺に関係しておりますが、最近初めていただくのが、笊粥(ざるじゅく)です。残飯をざるで洗って冷凍しておいたものを、ほどほどのときに、菜っぱなどを少し入れたりして、週に一、二回お粥にしていただきます。これは昔はなかった粥(しゅく)の食べ方ですね。その結果、費用が大体半分ぐらいで済んでいると言っています。
 梅干も昔は食中毒を起こしそうな梅雨時分しか出てこなかったのですが、このごろは毎朝のように出ます。そういう点では環境に配慮しつつ、レベルが上がっていますね。梅は、道元禅師様が非常にお好きでしたけど、昔はあまり実がならなかったのではないかと思います。
【西川】 今年は異常に暑かったから、梅の産地では例年の二割ほど実の数が減っているそうです。
【大田】 梅も剪定とか、肥料をやりすぎても駄目ですしね。育てるのはむつかしいですね。

●座右の銘は「親切」、信条は「感謝」
【石原】 福井県は西川知事の発案で全国で初めての「ふるさと納税」や「観光営業部」を立ち上げ、マスコミからも注目されています。そうした知事は革新的なモットーの持ち主かと思われるのですが、意外や意外、西川知事の座右の銘は「親切」、信条は「感謝」だそうですね。
【西川】 親切も感謝も、なかなかできないものですから…。
【大田】 いや、いや。「ふるさと納税」などは、日本で最初の発案でしょう。素晴らしいですね。それでも、なお、親切や感謝をモットーに考えておられ、それがなかなかできないとおっしゃる。それは県民のトップに立つ者としての最後の試練かもしれませんね。
 永平寺の第三代目の住職になられた方で義介という方がいらっしゃるのですが、この方がまだ修行中だったころ、こんなことがあったそうです。まじめで台所仕事なども率先してやるし、能力的にもずば抜けていたにもかかわらず、ある日、道元禅師は義介をしかって言われたそうです。「あなたは非常にきれるけれど、他人に対する親切心が足りない」と。道元禅師は、義介がいずれ永平寺のトップとして人々を導いていく立場に立つ逸材だと分かっていたからこそあえて、こうした忠告をされたのでしょう。
【西川】 わたしは、何に感謝するかというと、とにかく相手の親切に感謝するんでしょうね、きっと。日常的に感謝すること。しかし、相手の親切に感謝するということは、今度はこちらが相手に親切にしなければいけないということですから、ぐるぐる回ることになります。なかなか、相反するような面もありますね(笑)。
 福井県の皆さん、まじめで粘り強くて、基本的には親切な人たちだと外から見られています。ただ、それ以上の積極性を発揮したり、みんなで働きかける力がもっとあると良いのではないか、とわたしは言っているんですけど(笑)。

●「普勧坐禅儀」は福井県の貴重な国宝
【石原】 今、NHKテレビで「龍馬伝」が放映されていますね。龍馬は実際に二回ほど福井に来ていたということです。それから、先ごろ、番組の中で、大田監院老師がご住職をされている長崎県の晧臺寺が紹介されていましたね。
【大田】 晧臺寺は、長崎で一番古いお寺なんです。寺町一番地にあって、めがね橋はその参道橋でした。豪商の小曽根家の墓所の中に、近藤長次郎のお墓がありましてね。ほかにも蘭学者や缶詰の元祖とか、龍馬の写真を撮った上野彦馬の墓とかね。三菱を作った岩崎弥太郎とかがみんなバックアップしていたんです。
【西川】 そうですか。
【大田】 先日、寺に若い女の子たちがたくさん来ましてね。何だろうと思いましたら、みんな墓のほうへ行く。龍馬を演じている福山雅治さんが来られたときには、晧臺寺幼稚園の女子職員なんかが、もう「うわーっ」て大変(笑)。まあしかし、脇に立ってみると、背が高くてすらっとしていい男ですね。女の人が騒ぐのも無理ないと思いましたね。
【西川】 ちょっと、観光の話になりますが、福井には国宝が四つあり、そのうちの一つが道元禅師の直筆「普勧坐禅儀」です。永平寺で所蔵されていますね。
【大田】 そうでございますね。
【西川】 ほかに国の重要文化財が福井県には九十七件ありますが、そのうち五件が永平寺さんということになっています。貴重な宝物をお持ちですので、ぜひみんなの目に触れるようにしていただけたらと思いますが。
【大田】 「普勧」というのは、あまねく勧めるという意味ですから、「みなさん、どうぞ、どうぞ」ということですね。聖宝閣という宝物館ができまして、完全に保管できるような施設になり、公開もしています。以前は上ったり降りたりして不便でしたが、今は平たいところにあります。ただ、参拝の人はまず寺内をぐるっと回られますから、大体一時間ちょっとかかります。そうすると、スケジュール的に無理なのか、聖宝閣に立ち寄る人はあまり多くない。本当は、もっと見ていただきたいんですがね。
【西川】 永平寺には現在なお年間六十万人もの参拝客が訪れるということですが、中部縦貫自動車道が年ごとに便利になりますから、ますます来客は増えると思います。
わたしはときどき、「あなたはどこにお住まいですか?」と聞かれるんですが、「福井です」と答えると、ただ「ふーん」と言われます。それで、「永平寺があるところですよ」と言うと、「ああ!」という感じになります。歴史・文化は永平寺、自然は東尋坊。食べ物は越前ガニ。俗っぽく言うと、福井県の目玉はそんなところが現実です(笑)。
【大田】 このごろ、長崎のほうでは、かつてキリスト教の教会や学校があった跡、今現在教会のあるところ、そうしたところへ観光客が続々と訪れている。仏教やイスラム教の巡拝の知恵を学んで、それを取り入れているのですね、カソリックの人たちも賢いですね。
【西川】 善男善女とか、老若男女とか、「若老女男」といいますか、若い女学生たちがどんどん来るような永平寺も良いですね。さきほども若い方々がたくさん、入り口におられるのを見ましたが、精進料理を味わうだけではなく、若い人たちが永平寺でしっかりと「禅の心」の学ぶ時代がくるかもしれませんね。

●たださらさらと水の流れる
【石原】 監院老師の頭上の扁額に「行雲流水」と書かれていますが、これはどういう意味でしょうか。
【大田】 諸行無常ということばがありますが、雲の形、水の動き、すべてのものがこの一瞬、一瞬に変化している。下から見ると、雲が何かうっとうしく見えるようなときも、飛行機で上空に出ると毎日快晴ですね。それでいて、夕日などは残光を受けて美しい、月も雲があってかえって月の風情が出るということもあります。「行雲」というのは、大自然や人間のあるがままの姿と仏法の真実とは切っても切れないものだということです。
 「流水」というのは坐禅のときの心構えと同じで、「岩の根も、木の根もあれどもさらさらと、たださらさらと水の流るる」と道元禅師様が詠われているとおりです。坐禅をしていると、普段は気にしないような物音が大きく響くんですね。遠く離れているところでの人の話し声とかいろんな物音が本当に良く聞こえたりします。しかし、それをいちいち問題にしないのです。「さらさらと、たださらさらと水の流るる」ということです。
 また、「聞くままに また心なき身にしあれば 己れなりけり 軒の玉水」という道元禅師様の歌もあります。水が屋根からぽつん、ぽつんと落ちる。落ちる水玉の音と自分とが別物でない。玉水が自分自身だということですね。まあ、普段の生活の中ではいろいろ考えたり、構えますけれども、いろいろなものを素直に受け止めていくことが大切です。
 西川知事さんには、これからも、野菜作りで土に触れるときのように、県政も眼処聞声でお励みになってください。
【西川】 はい、水のごとく、雲のごとくですね(笑)。
【石原】 きょうは、お忙しい中、お時間をいただき、ありがとうございました。