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イッセイエッセイ

764号 三方五湖(鳥浜)と里地里山モデル

2013年01月15日(火)




 私たちが年々の米の収穫に農耕民的な喜びを感じるのは当たりまえのことであるが、それ以上に、山里に赤く色づいた柿の実や茶色に輝く栗の姿に特別の好ましさを感じるにはなぜであろうか。趣味の園芸やフィッシングなどには実益もあるけれども、こうした活動に自分たちが好んで頭や時間をついやす面白い気分は、一体どこから来るのであろうか。さらに野生的ともいえる季節的な野山での遊び、たとえば春先にする蕗やワラビ摘み、奥山に入っての山菜採り、秋の落葉を踏み分けての茸狩りなどが、何か原始的な誘いをもってわれわれを引っぱっていくように感じるのはどうしてだろうか。

 自ずと感じるこうした自分たちの楽しみは、生まれてこのかた日常的に体験して来た習慣からの趣好というよりは、少なくとも我々の時代から何万年もさかのぼり、数百世代にわたって身体に引き継いできた生態的な歴史がそうさせるのではないかと思うのである。最近すすめられて一読した「人類史のなかの定住革命」(西田正規著 講談社学術文庫2007年)によって、改めてそうした感想をもった。


 若狭湾の三方五湖周辺(鳥浜遺跡)は、日本列島の縄文前期以降の村人の生活をいきいきと伝えてくれる代表的な先史遺跡であり、本書にはわれわれの祖先のこの時代のさまざまな様子が書かれている。人類の長い歴史では、もともとは「遊動生活」が基本であったが、一万年あまり前の後氷期(温暖化)に至って、狩猟・採集による移動生活が生産的でなくなり、定置漁具による漁撈や食料の大量貯蔵、集落周辺での植物栽培が行なわれるようになる。こうして定住生活がはじめて普及し、そこから外来植物による農耕文化が生まれる。これは農耕によって定住生活が始まったという定説ではなく新しい生態人類学の見方である。そういう意味で、まだ農耕が始まらず定住による漁業と栽培、そして従来からの採取による縄文期の考古学現場として、福井県の鳥浜遺跡は、いま流行の「里地里山」の原初的モデル村落と呼ぶことができるのではないかと思われる。

(2013.1.6 記)